幽霊のはなし

父がスナックをやってた頃の話である。
そのカウンターにいつも青い服を着た長い髪の女の幽霊がポツンと椅子に座っているらしかった。
というのは父はそれが見えない。
時々お客さんが驚いて教えてくれるそうだ。
そして互いに接点のないお客が、みな同じことを言うらしい。
そういう客に父は「ウチの常連だ」と言って笑いをとっていたという。
はてさて、幽霊はいるのだろうか。
青い服を着ている、という。
裸の幽霊という話は聞いたことがない。
つまりその服も幽霊の構成要素だ。
ということは物質も霊になるのだろうか。
その服は故人が着ていたものだろう。どこかで、西友あたりで買ったものかもしれない。
遺品として実際に残っているかもしれない。
その服には霊に成る素質があるのか?
メガネは顔の一部です、という理屈なのか。
その幽霊の長い髪は垂れ下がっているそうだ。
引力にしたがっているということは質量があるのだろうか。
質量のある物体が夜になって現れたり消えたりするなんてことがあったら、宇宙の質量全体にどう作用しているのだろうか?
幽霊はダークマターなのか?
椅子に座っているというのもおかしい。
何故人間と同じ状況で現れるのか。
自在に消えたりできるなら、実空間に制約される必要はない。
壁や天井に座っていたっていいはずだ。
座ってる椅子を次々壊していったら幽霊も移動するのだろうか。

平安時代や原始時代の幽霊を見た者はいない。
落武者や兵隊くらいまでが一般的だ。
あとは現代人。
想像の及ぶ範囲の人間しか出ない。
こう考えると、いないと考えるほうが自然だろう。

しかし幽霊の話はどの国にもあり、嘘をついてると思えない人間からトンデモナイ話を聞くこともある。
同時に多数で目撃した話もある。
もしいるとしたら、幽霊は実存ではなくどちらかというと像に近いのかもしれない。



横浜開港博でラ・マシンの蜘蛛を見た。
蜘蛛の動きを人力で真似ようとすると、あんな大げさな仕掛けになる。
それでもまったく不完全だ。タイヤで動いていたし。
しかし本物の蜘蛛はもっと小さく糸くずのように軽やかに動き回り増殖までもする。
当たり前だが、この動力源は何なのか、素朴に驚いてしまう。
生命の定義は難しい。
人間は生き物を作れない。
死んだ人間を生き返らせることはできない。
生命の元のようなものがあるのかもしれない。
人間を構成する物質をそろえてビンに詰めたって人間は発生しない。
そう考えると、生き物は「霊的」と呼んでもいい存在かもしれない。
その原形質のような、無色の球形の魂のようなものなら想像できなくもない。
しかし何故、幽霊と呼ばれるものは現実世界の属性や付帯物まで背負って出てくるのか。
死んでもしがらみから開放されないというのか。
また、幽霊がどうのこうの言い出すと、UFOだUMAだとか占いやら、仕舞いにゃ四次元だ、インディアン、イルカまで放っておけば何でも飛び出してくるのはいかがなものか。
怪談のセンスもへったくれもなくなってしまう。