駒村吉重著「君は隅田川に消えたのか」

牧義夫の版画の代表作といえばやはり《赤陽》《月》だろう。鋭い三角刀の切れ味に圧倒される魅力がある。しかし穏やかな鉄橋などの風景版画をじっくり味わって欲しい。澄み渡った空、吸い込まれるような空気感。何も墨がついていない、余白のような部分が静かに語りだしてくる。これこそ藤牧のブラック&ホワイトの究極表現ではないか。これは《隅田川両岸画巻》などの藤牧の筆の質に近いものである。
駒村吉重著「君は隅田川に消えたのか−藤牧義夫と版画の虚実」(講談社)は《赤陽》に魅かれ藤牧を知りたいという思いからとんでもない事実に出会ってしまった。その戸惑いがノンフィクション作家駒村特有の独特な時間、空間感覚で描かれている。藤牧とは一体どんな奴だったのか。磁力を放つ大谷芳久氏。闇のように現れる小野忠重の狭間で、著者は幾度となく疑問に躓きながら歩いていく。不可解な事が多すぎる。藤牧の父に対する異常なまでの思い、理由の分からない版画の改竄。過去と現在が迷路のように曲がりくねりながら少しずつ真実が明かされていく。
最後の章「蝶になったひと」では《隅田川両岸画巻》の藤牧の視線を追いかけて隅田川を歩く。藤牧のトリックに巻き込まれながらの歩みは決して迷路ではない。この水の気配の漂う静かなクライマックスには、ほっとするような柔らかい感動がある。一読をお薦めする。「藤牧義夫 眞偽」では触れることのない小野忠重の人物像も興味深い。


これは愛媛新聞に載った水沢勉氏の駒村著作の書評である。Facebookの議論とあまりに違う…「小野の人物造形に対して不満が残るが」とある。小野忠重を信頼するのは何故だろう。誰も「黒」だとは言わないが、解明された事実関係からは疑念が生じる。


 他にも藤牧について書かれた著作はいくつかあるが見るべきものはない。私が手に取った牧野将著「赤陽物語 私説藤牧義夫論」(新風社)は、根拠なく《赤陽》をキルヒナーの《ハレの赤い塔》に関連付けたり、三角刀の表現に「稜線光法」と唐突に名づけるなど、著者の思い込みに基づく意図の判らない小説だった。
この本で最もまずいのは、藤牧の甥や姪からの聞き取りを精査することなく全て載せてしまったことである。人の記憶は曖昧である。まして幼少期のそれは非常に怪しい。仮に誰もが知る画家ならまだしも、藤牧の真相は分かっていないのだから大変危険である。また吃驚するのは「ファンタジー・赤陽讃歌」という章があり、これは藤牧とその恋人洋子とのラブロマンスである。著者の思い込みが架空の物語に仕立て上げられ苦笑を禁じえない。隅田川を描くのを薦めたのは洋子だそうだ。最後は二人で夕日の海を泳ぐシーンで終わる。尚、表紙と裏表紙は藤牧版木使用の別人による多色刷りである。