「フィールド・レコーディング」とは何か? @ SCOOL

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8月18日 (土)『パフォーマンス・トークイベント「空間を聴く」』

8月18日 (土)午後7時開場 7時30分開演
パフォーマンス・トークイベント「空間を聴く」

パート1:パフォーマンス (7時30分〜)
武本拓也
中村ゆい
+ 諸根陽介
空間を聴く行為を実践します

パート2:スペシャトーク空間を聴く・背景を聴く」(8時30分〜)
角田俊也
2,000円


http://www.ftarri.com/suidobashi/index.html
113-0033 東京都文京区本郷1-4-11 岡野ビル地下一階(金刀比羅神社の向かいのビルです)
電話番号:03-6240-0884(午後4〜8時。休業日やライヴ時間中はつながりません。ご了承願います)
JR水道橋駅徒歩5分、都営三田線水道橋駅徒歩3分、丸の内線 / 南北線後楽園駅本郷三丁目駅徒歩8分
主催:中村ゆい + 諸根陽介
中村ゆい + 諸根陽介、ライヴで空間を聴く行為を実践します。
角田さんのお話と音源ともに、さまざまな空間の広がりやその背景について聴く、トークライブです。「演奏場所の響きに注目すると、音楽とは違った文脈に興味が広がることがある。響きには意味のようなものが関わっているのだろうか?それは聴く側の主観にも関わる問題でもある」といったことについて、様々な音盤や自身の録音を聴きながらお話ししていただきます。


ゆいさんのお誘いでイベントに参加します。
私自身フィールド録音を風景画のように考えており、場所や空間といったことに関してはいろいろと考えてきました。
私の録音もお聴かせいたしますが、今回は特にレコードやCDで聞こえる、音楽の背景、場所や空間を喚起する作品を一緒に聴いてみたいと思います。古楽や教会音楽や実験音楽などにそういう音源がありますが、語る対象はやはり実験作品のコンセプトに関してにしようと思います。お土産音源をCDRに収めてお配りしたいと思います。猛暑の中ですが、お時間がありましたら是非お越しください。
(角田)

他人摺り《赤陽》部分


版木一部を試した跡の残っている。画像左端真ん中より少し下、手前の建物の周り、道路部分に走る細い直線など。
乱雑な摺りである。

「小野」印拡大。
何故これを捺したのか。自分で摺ったものだからではないだろうか。他人の作品に自分の印を捺すだろうか?
藤牧の版木を使って摺った模作のようなものとして印を捺したのだろうか。版木を譲り受けたのだろうか?
他人摺りの証拠と考えていいのではないだろうか。

眞偽比較


《赤陽》

 彼方に夕日がありながら道路が不自然に光っている。《赤陽》は当初昼の景色として制作されていたようだ。しかし沈む夕日の光を見て急遽構変更したものと推定される。そのため画面下部の一部はコラージュになっている。
しかしこの他人摺りでは建物の影版も摺ってしまっている。コラージュとなった画面下部の位置を探ったのか、道路の広い部分を拡大すると、摺り損じのような跡、細い直線が数本走っている。切断した版木による跡ではないか。自動車の一部は雑に削られている。画面左下も版木の縁と思われる不自然な跡がある。
藤牧のサイン「F」の代わりに、右下角の余白に「小野」の三文判が捺されている。

(《赤陽》の現場。藤牧が目にしたのはこの景色だ。制作経緯は「藤牧義夫 眞偽」の分析を参考にして欲しい。画像○部分は鶴の湯の煙突)


《鉄の橋》

 遠くの煙突が鉄橋の茶色と同じ色になっている。多色にしたせいで空間がバラバラである。特に地面の安定感が失われ鉄橋は宙に浮いて見える。

 《城沼の冬》

 静寂の空のど真ん中に飛行機が飛んでいる。意味が判らない。

しかもスタンプ式、作品ごとに位置に微差がある。《城沼の冬》は藤牧特有の紫で摺られていたが、作品は退色して灰青色っぽくなっている。この飛行機スタンプは紫のままである。つまり後に違うインクで捺されたものだと推測できる。

 《朝靄》(昭和5年の真作は所在不明。版画同人誌「きつつき」より)

 サイン部分が太く削られ「4」の文字が追加されている!真作は高架線が朝靄で霞んでいる様子を摺りの加減で表現しているが、こちらでは版木そのままに摺られている。画面左端の橋脚線部分をさらってしまっているので高架線が切り離され宙に浮いて見える。人物部分の摺りも雑で、消しゴム版画のように潰れている。山高帽子の形も変更されているが理由がわからない。
何よりも「4.11.9ヨシ」が偽作者の表現したいところであろう。そこが一番目立っている。

 《鐵》

 比較すると橋の遠近感が損なわれ、空間の伸びやかさが失われている。あちこちの線をいたずらに太く彫っている箇所が散見される。煙突は無様に曲がっている。何のために手を加えたのだろうか。
ここに挙げた偽作が「グレーの領域」なのか?そんな馬鹿な!

駒村吉重著「君は隅田川に消えたのか」

牧義夫の版画の代表作といえばやはり《赤陽》《月》だろう。鋭い三角刀の切れ味に圧倒される魅力がある。しかし穏やかな鉄橋などの風景版画をじっくり味わって欲しい。澄み渡った空、吸い込まれるような空気感。何も墨がついていない、余白のような部分が静かに語りだしてくる。これこそ藤牧のブラック&ホワイトの究極表現ではないか。これは《隅田川両岸画巻》などの藤牧の筆の質に近いものである。
駒村吉重著「君は隅田川に消えたのか−藤牧義夫と版画の虚実」(講談社)は《赤陽》に魅かれ藤牧を知りたいという思いからとんでもない事実に出会ってしまった。その戸惑いがノンフィクション作家駒村特有の独特な時間、空間感覚で描かれている。藤牧とは一体どんな奴だったのか。磁力を放つ大谷芳久氏。闇のように現れる小野忠重の狭間で、著者は幾度となく疑問に躓きながら歩いていく。不可解な事が多すぎる。藤牧の父に対する異常なまでの思い、理由の分からない版画の改竄。過去と現在が迷路のように曲がりくねりながら少しずつ真実が明かされていく。
最後の章「蝶になったひと」では《隅田川両岸画巻》の藤牧の視線を追いかけて隅田川を歩く。藤牧のトリックに巻き込まれながらの歩みは決して迷路ではない。この水の気配の漂う静かなクライマックスには、ほっとするような柔らかい感動がある。一読をお薦めする。「藤牧義夫 眞偽」では触れることのない小野忠重の人物像も興味深い。


これは愛媛新聞に載った水沢勉氏の駒村著作の書評である。Facebookの議論とあまりに違う…「小野の人物造形に対して不満が残るが」とある。小野忠重を信頼するのは何故だろう。誰も「黒」だとは言わないが、解明された事実関係からは疑念が生じる。


 他にも藤牧について書かれた著作はいくつかあるが見るべきものはない。私が手に取った牧野将著「赤陽物語 私説藤牧義夫論」(新風社)は、根拠なく《赤陽》をキルヒナーの《ハレの赤い塔》に関連付けたり、三角刀の表現に「稜線光法」と唐突に名づけるなど、著者の思い込みに基づく意図の判らない小説だった。
この本で最もまずいのは、藤牧の甥や姪からの聞き取りを精査することなく全て載せてしまったことである。人の記憶は曖昧である。まして幼少期のそれは非常に怪しい。仮に誰もが知る画家ならまだしも、藤牧の真相は分かっていないのだから大変危険である。また吃驚するのは「ファンタジー・赤陽讃歌」という章があり、これは藤牧とその恋人洋子とのラブロマンスである。著者の思い込みが架空の物語に仕立て上げられ苦笑を禁じえない。隅田川を描くのを薦めたのは洋子だそうだ。最後は二人で夕日の海を泳ぐシーンで終わる。尚、表紙と裏表紙は藤牧版木使用の別人による多色刷りである。

藤牧義夫 羽裏《龍》3月10日まで

2月6日から3月10日まで、かんらん舎にて藤牧義夫が龍を描いた羽織が展示されています。
義兄太田豊治の為に描いたものです。推定17歳の筆。(部分)他に数点の版画、そして貴重な版木も展示されています。
小冊子「藤牧義夫 眞偽-過去は死なない 過ぎ去りもしない」¥300で購入可能です。 
東京都中央区八重洲2-11-7東栄八重洲ビル2F Tel03-3270-0844(正午〜6時 日・月・祭休廊)


(部分)


藤牧義夫は本当に「失踪」したのか?

一般に「失踪」という場合、自らの意志によって姿を消すことを意味する。
昭和10年9月2日の雨の夜、藤牧は忽然と姿を消した。
ここに同年9月15日に発行された「鯱(しゃち)」という冊子がある。
表紙には藤牧義夫の作品が使われている。紙面には他にも2枚藤牧作品が掲載されている。
藤牧がいない状況で堂々と版画が使用できるということは、もう二度と姿を現すことはないと分かっているからではないだろうか。
(画像、右下は「鯱」に掲載された文章。藤牧の「エノケン」が掲載されている)