カセット復興

震災に関してBlogのような場でアレコレするのは自分のキャパを超える。
ただ、復興ということに関してなら少しだけ関係のあることが書けるような気がする。
それはカセットデッキの話である。
懐かしい話だ。
私の小中高校学時代はオーディオの進歩とともにあったような気がする。
短波ラジオ、生録ブーム、ラジカセ、カセットデッキ、ラテカセ、縦型コンポ、ミニコンポ、そしてCD開発の情報。
TVも黄金時代だったが、深夜ラジオも重要な若者の情報源だった。投稿ハガキ、組織票…
若者の横には四角い箱のメカがあった。
あの頃の国内の電機メーカーのパワーには凄いものがあった。
所謂ピュア・オーディオでは当たらないが、王者はやはりSONYだった。プロダクトのポピュラリティーは常に他社を追い抜いていて、
やっぱSONYだ!と思わされたものだ。
ラジカセやウォークマン・プロの音質など、少年の目には機械自体が賢いロボットのようだった。
デンスケは他のデッキでもかすかに入ってしまう録音ポーズ解除時の「プツッ」という音がまったく入らない。これはうれしかった。
ナカミチカセットデッキ。持っていることだけで尊敬されるマシン。あの堅実な艶消し黒の筐体の存在感。
他社が下世話にアレコレ機能を付加するが一切そういうことはせず、
製品点数は最小限、モデルに応じた値段。そして最高峰にドラゴンの異形が鎮座する。
数百円のカセットテープの微調整にあそこまでのファンクションをつけ、製品化する日本の技術陣の凄さ。
カタログ作って販路整備し、雑誌に毎週広告を載せる。今思うと生真面目な製品説明文に密かなユーモアすら感じてしまう。
ナカミチのオートリヴァース対策も笑った。ヘッドや回転自体を動かすことなく、テープをいったん外に出して反転させて入れるという機械的動作、という結論。
自分でカセット裏返せよって言ってるようでもあり。
アジマス調整にかけたメーカーとしては「オートリヴァース」なんて俺たちナメんなよ、ということだろう。
数年前ヤフオクで見て知ったが、ナカミチはとんでもないレコードプレイヤーも作っていた。
それは何と、レコード盤のセンターホールのズレによる偏心を補正するのである!
回転軸の微調整ができるプレイヤー。アジマス調整には、もはや世界観を感じさせるではないか。
恐れ入った。
カセットデッキならTEACも負けていなかった。誰もが悩んだヒスノイズの解決へのdbxの搭載。
オーレックスも似たような補正をしていたっけ…名前忘れた…いずれも互換性はないし、
音質が大幅に変わる問題があったが、ダイナミックな音量変化には心を奪われた。
カセットテープもマクセルのあれがいい、SONYの新製品を聴いたか、スコッチのデザインがかっこいい、TDKが一番素直だ、など
若者はエアチェック前にディスカウント・ショップへ買いに走ったものだった。
「軽音楽をあなたに」「ジェットストリーム」「ヤング・ジョッキー」「クロスオーバー11」
少ない小遣いでカセットを買っては上書き、FMレコパルの番組表をにらみながらヘッドフォンで聴き、MCが終わる瞬間と曲が完全に終わった瞬間にポーズを押す。
録音の確認で再生したら、上書き前の「天国の階段」のイントロが沈黙から鳴りだした。思わぬ偶然に声を上げたことがあった。
懐かしいだけでなく、あの頃の電気機器メーカーの情熱は購買者に確実に伝わり、そこから新たなニーズが生まれてきた。
それはいつの時代もそうだったと言えるが、一定多数の顧客を構えた構図の商業ベースで、ムーヴメントのように動く様は、さながら入道雲がもくもく発生するようだったように思える。
機械の背後には作業服に身を包んだ技術者が煙草を吸いながら図面を引いたり、Zライトの下でドライバーを回している、そんな幻が見える。
秋葉原にはそういう人たちが足早に(本当です)歩いては暗号のような言葉をしゃべって部品を買っていた。
オーディオ少年の鉄則。カセットは封を開けてすぐ録音を始めてはいけない。
まずは早送り、巻き戻してから録音。B面の頭は30秒は進めないと、折り返しのテープの厚みで音が揺らぐ。
そうやって録音されたテープから聴こえるオールマン・ブラザーズやクイックシルヴァー。
幸せな響きが窓の外の大気に混じったことを想像する。
アメリカの最高の部分はポピュラー音楽じゃないだろうか。
ある時期からメーカーは効率のみを押し出すようになった。
技術者の力技は過去の産物のようになった。
SONYの技術者切りが時代を変えてしまったのか。
技術はお金に魂を譲ったのか?
今やSONYタイマーという言葉は子供でも知っているが、当時はしょうがないねぇ、と我慢できたことだった。
それは技術力があったからだ。
技術は更新される。
Lカセットやベータ対VHSなんてこともあったが、今のようなフォーマット云々という考えではなかった。
ハードとソフトは対応していた。
そこにはデータではなく、機械が、物体があった。その物体には開発の知性があったし、そこにはそれを支えるファンがいたのだ。
ファンたちは工夫を凝らし機械の性能を最大限に引き出そうと楽しんだ。
最高の技術と最高のソフトの出会い。
これが基本だろう。
地域と産業、自治体と住民…
一般ユースのオーディオの世界は、巨大なマーケットではなかったが、もう一度こういう関係をどこかで興せるだろうか?
技術と信頼の関係。保たれれば不便は乗り越えられるのではないか。
生活を根本的に変えなければいけないかもしれない。
ほとんど不可能に思えるが、ヒントにはなるはずだ。