タルコフスキーの思い出

私は映画があまり好きではない。
小学校の頃、地方都市では大抵映画は二本立てで上映されており、昼過ぎに入って映画館を出ると夕方になっておりガッカリした記憶が軽いトラウマになっているようだ。だから好きな映画しか観たいと思わない。映画が好きな人は同時に映画館が好きなんだろう。そんな私はタルコフスキーだけはよく観続けた。
初めて観たのは83年。千石の三百人劇場。近所の若い画家さんたちと「アンドレイ・ルブリョフ」と「鏡」の二本立てだった。当時タルコフスキーはめったに見れなかったため、上映最終日は大勢の観客だった。ルブリョフが終わってトイレから戻り、扉を開けると満員電車のようで自分の席に戻れなかった。そのまま扉の前で立ったまま観るしかなかった。映画が始まった瞬間に衝撃を受けた。絵画の世界には巨匠はいなくなったが、映画の世界にはいたのか、と。爪先立ちのまま2時間半が過ぎた。すっかりタルコフスキーにやられて今度は独りで「ストーカー」を観にいった。感覚的な映像には大いに感動したものの、話としては何が言いたいのかさっぱり分からなかった。こりゃ難しいな、と悶々としながら駅に向かう。切符自販機に並んでいると後ろで男女が先の映画について話している。男性は映画をよく理解しており、あのシーンはこうだからこうなった、とか、あの場面はこういう意味だなどと、隣の女性に解説している。私は驚いた。そんなとこまで気づかないといけないのか、そんな意味があるのか、確かに言われれば間違いない。深すぎる。単なる映画鑑賞では絶対到達し得ない!映画好きが得意そうに話すカメラワークなどの撮影テクニックについてではなかった。よく理解したな、まったく歯が立たない。自分もそこまで分かるようになりたい!それからタルコフスキー映画への執着が始まった。初期の短編2つを除いてどれも20回以上は都内の映画館で観たと思う。シネヴィヴァン刊「ノスタルジア」のパンフに載っていた「タルコフスキー空間 多孔質の境界」という松浦寿輝氏の小論には助けられた。あの解釈は作者に忠実だと今でも思う。
ノスタルジア」といえば我ながら狂っていたと思うことがある。当時タルコフスキーが観れたのは中小規模の映画館だけだったが、ついに有楽町西武の映画館でのロードショーとなった。既に数回は観ていたが大きな映画館で観たらどんなものか楽しみだった。確か初日に行ったはずだ。期待どおり映像は大変良かった。しかし、会場の空調の音で小さい音が完全にマスキングされていた。これは痛い!観終わった私はすぐに業務通路を抜けて階上の映写室に行き、上映中は空調を止めるように頼み込んだ。50代くらいの上映技手は、衛生面などの理由で空調を止めることはできない、とこの唐突な侵入者に丁寧に答えてくれた。しかし私も譲らず、何度か押し問答をした後やむなく帰路についた。そして最終日の最終の上映時に再び映画館へ行った。今度こそと、上映前に映写室に乗り込んだ。これで最後なんだから、頼むから止めてくれ。すると返事は、多くのお客様からのご要望で上映中は空調を止めることにしました、と申し訳なさそうな表情。それでいいんだよ。最高の状態で観ることができた。
 若かったせいか、あの頃は脳内麻薬物質が常に出ていたんだろう。よほど心酔(浸水?)していたのか映画と現実に差がなかった。米軍から返還された空き地は間違いなくゾーンだったし、映画の始まる前に古本屋で買ったデューラーの素描集を喫茶店で見はじめると、予定調和のように池袋駅前は雪が舞い映画のようなモノクロの光景に変わったりした。これは多分錯覚だが、カンカンポアで父のアルセニー・タルコフスキーの詩集を立ち読みした記憶すらある!当時はタルコフスキー映画と地続きになる瞬間があった。これは若い時期独特のものだ。そんな経験ができて幸せだった。錯覚も捨てたもんじゃない。
大学時代、友人数名とイタリア旅行をしたとき、偶然本屋で「ノスタルジア」の廃墟の教会の絵葉書を見つけ、興奮してそこに出向いた。朝と夕にバスが数本しか来ないトスカーナのど田舎。映画のミニチュアの家のイメージのせいで、非常に大きな建物に見えるが、実際は標準的な大きさで、現実のほうの建物のサイズが贋物のように思えた。

 「鏡」は当時、私小説の断片から作られた映像詩だと決め込んでいた。物語のプロットは夫に自分の母親と同一視される妻の悲劇であることは誰しも分かるだろう。そこで思考停止したままだった。しかしある時、悟ったようにこの作品の全体像に気がついた。それは最後のほうのシーンであった。ヨハネ受難曲をバックに、母親が息子の手を引いて林をあるいるシーンがある。その端っこ、遠くのほうに主人公の妻が寒そうに小さくポツンと立っているのを発見した。あのシーンはマザコンと思しき夫の回想シーンのはずである。しかしそこに夫婦関係の危機に陥っている自分の妻が写っている。つまりそこで妻は自分の息子と自分の夫を二重視しているのだ。そして二人を連れ去っていくのは夫の母だ。なるほど「鏡」とはそういうことか。単に二重投影というだけでなく物語が鏡のように映りこんだ構造になっているのか。三面鏡やショーウィンドウで不意に自分の姿がまるで他人のように写っていて驚くことがあるように、この映画は鏡の心理的な現象までも構造に取り込んでストーリーが組んであるのだった。鏡の中で距離や位置が曖昧になり像が重なり合うように、三人称と二人称が混在する。このシーンは誰の一人称なのか。投影され反射し、観る者も角度次第で各断片に関係を見い出す。これは映画というより時間芸術であり、人称空間のポリフォニーなのだ。いやはやよく作ったものだ!(後にタルコフスキー自身の著作「映像のポエジア」で、この映画の撮影エピソードを読み更に打ちのめされた!)
時は経ち、私は結婚し子どもが生まれた。久々にDVDで「鏡」を観た。二つ驚いたことがあった。ひとつは旧東欧諸国のレコードを集中して集めていたせいで、字幕のキリル文字がアルファベットで難なく読めてしまったこと。もうひとつは、あの妻が絶望的に悲しい心境なのが分かったこと。確かに映画では悲しみに暮れていたが、当時は映像美に感動して観ていただけだったようで、不覚にもまったく気づかなかった。だが、久々のタルコフスキーの映像美はピンとこなくなっていた。DVDのせいかもしれない。何よりもこの悲しさを観るのはつらい。懐かしさに浸るどころではない。いたたまれなくなりすぐ消してしまった。