記憶の景色ではなく

何となく昔の事をよく考える。過ぎた過去に繋がりを見たいのか、できたら遠くに行けるように過去にも行けたら楽しいだろうと思うからか。
80年初頭、高校の頃だ。仲のいい中学同級のいつも同じメンバーで遊んでいた。遊びといっても普段の週末などはただ近所をぶらぶらしながら話を開いたりするだけだったが、
中高生時代は吸収する時期であるせいか、世界がすべて受け入れてくれるような、景色がニコニコ笑っているような印象がある。
現在は、情報や物の氾濫によるのか、新しいものに楽しみを感じにくいが、当時は内外から面白いものがどんどん出てきたので、漠然とした期待があったからだろう。コレだよ、コレ!と思う感覚によく遭遇したものだ。
本屋に立ち読みで寄っただけでも、何か得るものが必ずあった。要するに吸収期のようなもの。特別な時間だった。
80〜82年くらいはまだまだ流行りも洗練されていない感じで、ちょっと前まで永ちゃんとか聞いてたもじゃもじゃパーマでジャージ姿の青年がYMOっていいじゃん、とか、そんな感じだった。
当時の映像なんかはYouTubeで観れたりするが、原宿の竹の子族とか、もさもさの聖子ちゃんカット、肩パッドの入ったいかつくて分厚い服とか、パンクス風の革ジャン、当時も今見ても何とも似合ってない恰好。どマイナーな世界、例えば天国注射のステージでも、不釣り合いなパンプス履いたもさもさ頭の女子がチークダンスのような動きで踊ってる姿が観れたりする。体験した当時の空気は何となく感じられる。
仲良したちとぶらぶらが疲れると、夕方はよく海のほうに行った。戦艦がそのまま展示されてる公園の、その戦艦の裏手の防波堤がお決まりの場所だった。缶コーヒーなど飲みながら、あれこれと話す楽しい時間。
私たち仲良しがよく話をした場所は今でも在る。
大きな造成があって様子は違うものの、戦艦の裏手に繋がるコンクリートの石垣はそのままだ。細かい玉砂利が入ったコンクリートはその感触も当時のまま。
あのニコニコ笑う景色の一部だ。夏の夕方などほんわりとあったかい感触。やぁ、また来たね、とでも合図をしているかのような感触。きっと今もそうだろう。あの時の空気が澄んだ感じや、缶コーヒーの味をかすかに思い出す。
石垣は同じものなのに、今の自分は違う見方をしている。当時はそんな所に意識を向けていなかった。今はそこに焦点を当て、矢を射るかのようにそれを見る。
折角そんなにしてまで見ているんだから、何か語りかけてきてくれてもいいだろうに、とも思うがそんなことはありえない。
変な考えだが、その玉砂利のほうからこっちを見た風景は一体何かと考える。無意味な思考だが、玉砂利に眼があったとしたら、同じ景色をずっと定点で見ているだろう。
そこから開かれ見える視野はどんなものだろう。
そこに私の懐かしさはどう関わるのか。論理的に考えて関わりがある訳ないが、私がそれを意識するときは、その場所に思いが関わっていると考えるしかない。玉砂利の眼に、私の、あの時の体験を保証する何かが認められるだろうか。
もしもその石垣が壊されたとする。記念にその玉砂利が手に入ったとしよう。玉砂利には既に私の記憶にある懐かしい場所から剥離されたが、果たして記念に取っておくだろうか、捨ててしまうだろうか。
その場所にあったからこそ、そこに感触があり意味があったのだ。持っていてもただの石ころに過ぎない。
しかしやはり捨てられない気がする。
この場所に関する意識は、聖地や巡礼のようなものに似ているような気がする。あるいはフォークロアとか。
自分で書いていながら、どう考えても間違った問いかけだと思う。
しかし場所の保証を記憶の中に留めて納得することに対し、何か反発したいところが自分にはあるようだ。
私が好きだったその場所に思いつめて絶望しながら訪れた者もいよう。しかし記憶の質は異なっても、その場所は共有される。
ここに意識を個々の主体に孤立させてしまわない何かがあるような気がする。
このあたりが気になるところだ。何とか制作で結論を出せたら、と思う。
論理的な思考だけでは難しいのではないか。