プログレについて想うこと


ネットにこんな画像が貼ってありました。ヤフオク出品用に撮影している太った二重顎のオヤジの顔が「狂気」CDの黒地に映りこんでいるもの。最近流行りの所謂「バカ画像」です。そこに読者のこんなコメントがありました。「うわー、プログレ好きって感じ」
う〜む…最近はMONOマガジンなどの特集が出たり、意外なミュージシャンが好きだとインタビュー記事に載ってたりしてましたが、世間ではやはりそんな感じですね。プログレ専門店には確かにこんな方がおりますなぁ。まぁ、分からないでもない。世の中、ネットでダウンロードが主流な中、特典や販促グッズとか、紙ジャケだHDCDだと出るたびに何度も何度も懲りずに同じCDセット一揃い買うオヤジは確実にいます。他にもっと面白音楽あるんじゃないか、と誰でも思うことでしょう。私も音楽雑誌などでプログレ特集なんかが売ってると必ず立ち読みくらいはしてきたクチですが、昔から記事を読むと違和感を感じることがありました。例えば、クラシックや中世音楽、トラッドや民謡、宗教歌唱をモチーフとしたものに対し、シリアスなアプローチ云々、というやつ。モチーフにされたものと比べたら、とてもシリアスなんて言葉は出てこないのではないでしょうか。自分たちの音楽にちょこっとよそってきたものではないでしょうか。不徹底だと言ってるのではありません。それで充分ではないですか。
批判で言うなら、メロウ・キャンドル、スパイロジャイラあたりを「ブリティッシュ・フォーク三種の神器」なんていうのも、ブリティッシュ・トラッド愛好家が聞いたら笑止千万、正に井の中の蛙、片腹痛い話でしょう。
また嘘も多い。70年代チェコでロックを演ったら投獄された、などとJazzQあたりを引き合いに書く人がいますが、プラハの春の68年にリリースされたThe Matadorsの裏ジャケには英訳でしっかりRockと書いてあるし、英国のバンドの紹介にTHEMについて書かれています。またレビューの音楽表現もつまりところ表面的。けだるいオルガンが入っていればどんなものでもクレシダ、とか、小編成の弦楽だとすぐにサードイヤーだ、とくる。まるで刺激反応、パブロフの犬です。そういう表面だけ見ていくから、プログレがまるでページェントの伴奏のように見えてしまう。長いイントロに得意の三連譜攻撃、危機せまる一触即発な展開、おもちゃの兵隊のプロセッション、突然の男泣き浪漫主義…。超大作の曲名を尋ねれば、組曲なんちゃら…。あの〜シラフですか?と突っ込みを入れたくなるのも充分、分かる。しかし二重顎オヤジにも少年時代があった。ラジオで流れた「クリムゾン・キングの宮殿」を聴いて衝撃を受け、よ〜し、俺はこれからの40年、週末は一歩も家から出ないでコレだけ聴くぞ、と決心した訳ではない筈です!そこには夢があったのです。プログレにハマるかどうかは、中高生時代に初期体験が無ければ無理ではないでしょうか。プログレ特有の、曲調が唐突に変化し、すっと視界が開けたような、雲の上に乗ったかのような夢幻な感覚体験。それが忘れられないのです、きっと。昔読んだ漫画を今でも読みこんでしまうのと、ハリー・ハウゼンの人形アニメにワクワクするのと同じです。私自身の小中学校の頃を思い出しても、世間一般プログレは難しい音楽という認識がありました。当時、プログレという言葉は認知されていても、レコード店にはプログレ・コーナーなんてありませんでした。また、シンセサイザーという言葉には、今は全く感じませんが、特別な魔力を持った響きがあり、発音すると口の中がまるで精密機械になってしまうかのような感覚に襲われたりしました。デジタル、アナログなんて対句はずっと後に出てきたものです。確かに今のようなプログレCDの販売作戦とか、専門店とかでの扱いを見るとうんざりしてきます。しかしプログレ自体に罪はありません。二重顎オヤジも罪人ではありません!何枚も持ってる「狂気」を1枚処分しただけです。
私はよく自称プログレ好きの方に人にフランク・ザッパはどうですか?と質問します。ザッパは芸術至上主義のような信念をあの大きな鼻で笑い飛ばしました。それが共有できると、こんなの聴いててしょうがないな、というニヒルな思いが楽しみと同時にどこかにあると確信でき、安心して話ができます。プログレ、と一言で言っても、アモン・デュールからエニドまで非常に幅が広い。誰かが書いてましたが、何がプログレかというとそれはプログレ店で売っている物という定義しかないというのが正しいかもしれません。プログレ好きでパット・メセニーが聴ける人も多いと思いますが、メセニーはプログレではないと認識しているでしょう。ディス・ヒートとマハビシュヌ・オーケストラはジャンルは違えどその範疇でしょう。もちろんザッパはプログレではありません。細部を見ると同じですが、メセニーにしろザッパにしろその出で立ちが違います。ではプログレは一体どんなジャンルなのか、定義しようとすれば虚しいものがあります。実際の漁盤現場を考えてみましょう。全く区分けされていないレコ餌箱でプログレを探すとき、ボストンやジャーニーが出てきて、パウエルのELPやロンリーハートのYESが出てくるかどうかが諦めのポイントです。そして次にユーロ・ロック・コレクションの何かや、欧州国の見知らぬポップスなどが出たらその餌箱群をきっと全部見るでしょう。そんな感じでプログレはジャンルの定義はできませんが、確実に範囲がある連邦国家のようなものかもしれません。さて、プログレの最大の特徴。色んな音楽の断片が寄せ集められた音楽。それが物好きのフェチ音楽として見られてしまっては本末転倒です。音楽を形作るものは音楽だけではありません。ひとつの文化の形として見ると面白いものが見えてくると思うのです。聴き方を楽しみましょう。例えばバンコ。これも専門店では伊のシンフォニック、変形ジャケの代表格のような印象が一般的でしょう。しかし「自由への扉」など歌詞を読みながら聴いてください。欧州の歴史から見た当時の政治状況を寓話という形式に落とし込んだ優れた音楽に聴こえます。これはヘンリー・カウの靴下三部作やアート・ベアーズにも言えることです。ガブリエル時代のジェネシスも、まさに英国らしい、稀有の文学音楽と言えます。曲想と歌詞の関係はなかなか興味深いものがありますね。ジャーマン・ロックは、人間の感覚を現象的に表現したものに聴こえます。これはヒューマニズムでは達成できない或る種の快楽です。初期タンジェリンやアシュラあたりのシンセものには、個体発生に映りこむ無機物や系統発生の波乱をイメージさせ、ノイ!やデュッセルドルフ歓喜法悦の波動を点描で追いかけた宇宙絵画のように聴こえます。イタリアのアコギの明るさは乾いた土に反射した地中海の光です。いまいち人気のないフランスのシンフォニックにはシュールレアリスムの絵画を添えてみましょう。こんなことを書いておきながら、現在の私は、未知のプログレを積極的に聴こうという気はあまり起きません。それは色んな音楽にプログレ的な要素を見出すことができるようになったからです。プログレ聴取体験が自分の感覚統合の元になっていることを私は否定しません。よく知る人にはそれが伝わるようで、イギリスに行ったときもたった数日一緒になっただけの現地人ですら、路傍のキノコを指さし「ほら見ろ、Prog Rockだ!」と言われる始末です。ちなみに現在私が好きなポピュラー音楽はスチール・ギターの音楽です。そうです、プログレの対極と呼ばれる(?)カントリーです。残念ながら新しいプログレ・バンドは、宗教法人を自身の拠り所にする新興宗教のように思えて触手が伸びません。すみません。さぁそろそろ無駄に長い組曲のコ-ダへ向かいましょう。言いたいことは、私はプログレから学んだことがある、ということです。それは聴き方です。様々な事象の層や束の様子、出来事への寓意や比喩や暗喩の関わりの様子。透かして覗いた時の奥行の妙です。それは多肢に渡ります。ただ好きで聴いて心地よいということだけでは、こういうものに気づけません。心地よさの訳を知っても心地よさは消えません。むしろ感覚に豊潤さを与えます。という訳で、「プログレを語る」では、特定のバンドを追跡したり、音楽シーンがどうのこうというものではなく、例によって参照と解釈の話で音楽を聴く会になります。映像も用意していますが、演奏やジャケ写などではありません。また耳の愉しみとしては、私の得意分野の東欧旧共産圏の昔のプログレ、サイケを味わっていただこうと思います。ソ連あたりではマスター・テープが上書きされ消失してしまった音源がたくさんあります。プレスされた盤自体もペレストロイカ以降、リサイクルで溶かしてしまったそうです。名前すら知られていない、妙な民謡風プログレはなかなか面白いです。ちゃんと音盤を持っていきますので、ご興味のある方は是非お気軽にお越しください。
 予約先着10名まで、秘蔵アルバムを丸々1枚焼盤を差し上げます。

2011年8月7日(日)
禁断の音盤トークプログレを語る」
出演:角田俊也
於: もだんぎゃる堂 新宿区 落合
開場17:30 開演18:00