佐々木敦著 「4分33秒」論 

 ジョン・ケージとは関係ないが読んでみようと購入したら、何と私のことが書かれていて驚きました。懐かしいコンピCDが取り上げられており、あぁ、これか、と。そういえばケージとちょっとだけ関係ありましたね。この本はジョン・ケージ論ではなく4'33"を考え、そこから何が見えるか考えたものです。最初にこれを確認しないといけない。しかし、こういうややこしいことを言ったり書いたりしてくれるのは、佐々木さんしかいないんですね。これは6年前のBRAINZでの講演をもとに編纂された本です。
この本は一気に読める面白いものです。本屋さんで見当たらないときはディスク・ユニオンに行きましょう。P-Vainからの出版物です。読んでいたら佐々木さんと話しているような気分になったので、思いつくまま感想を書いてみたくなりました。

●コンピCD「45’18”」への参加の経緯について。これはWrkに興味を持ってくれたMeeuwn Muzakのヨース氏がファックスかメールで冗談のような感じで4'33"のリミックスって面白くないかい?みたいな感じ振ってきて、こちらも何かのついでだったので「サゥンズグッ!」みたいな返事をしていたら、何やら知らぬ間に進行していたのでした。今更引くのも何だし、これはちゃんとやらないと、とメンバーで話し合ったのを覚えています。結局私と志水氏の作品が採用され、CDが送られてきて初めてKorm Plasticsからリリースだと知りました。
さて音源をどうしたものか考えたとき、佐々木さんが書いてる通り、枠としてこれを使って、実験音楽とは別のものをそこに盛ってみようと考えました。枠であるなら村境だな、と明治の頃に横須賀にあった豊島町をモチーフにしました。この町は現在21に分割された比較的大きな地域で、1キロ離れた海上猿島も含まれていました。第1楽章はその猿島の波の音。第2楽章は中里トンネル近くの振動。ここは横須賀の上町周辺が便利な生活の場となるために必要な隋道でした。そして第3楽章は市立図書館近くの銭湯の横の路地。風呂釜の燃える横で子供の走る足音が聞こえます。当時三浦半島郷土史本を読み漁っていた時期で、その興味から生まれた作品です。4'33"のコンピとなれば如何にもな内容になると予想し、定義めいた作品にするより正当なアプローチで、透明な入れ物に好きなものを注いでみよう、という発想でした。私はライナーに豊島町に関する文献を参考に長めの文章を書いています。内容はリスナーの恐らく誰もが知らない今は無い町の歴史です。ですので、冒頭に書いたように、ケージは好きな作曲家ですが、自分の制作には関係ありませんので、よろしくご理解願います。
ちなみに志水児王の作品は、彼自身が既に作っていたアセテート盤を使っています。アセテート盤は熱で溝を切ります。通常だと33回転あるいは45回転でアセテート盤を回転させながらダイレクト・カッティングしていきますが、彼はマシンの回転を止め、録音した音声信号を流している間、盤面に熱を送りこみました。出来上がった盤はたったひとつの点があるだけ。そこにカートリッジを落として録音したものです。この盤は以前、埼玉県立美術館での彼の個展で展示されていました。
この「45’18”」は200枚しかプレスされなかったもので入手は困難かもしれませんね。

●Skitiの第1弾のマンフレッド・ヴェルダーのCD、あれが私とマンフレッドとの初コラボでした。河原乞食の基本に帰ろうと多摩川べりで行われた「天狗と狐の野外コンサート」でのヒトコマ。最初、秋山キャプテンはギターに河原の石を置いたり、弦を緩めたり、大蔵氏は小田急線の走行音に反応してサックスを吹いていました。私もタンブーラの弦を風に揺れるセイタカアワダチ草に触れさせたりしていましたが、その後、絵を描く眼で対岸の景色を見つめていました。その後、他の二人も同じように対岸を見つめていました。3人がはっと気づいて演奏終了。録音をよく聴いてください。最初のほうは観客の音や携帯の呼び鈴や子供の歩く音や河原の暗騒音などが響いていますが、徐々に音数が減っていき、最後には鳥すら啼かなくなっていきます。そして終了の拍手が起こる。この変化が面白くてリリースを即断しました。マンフレッドのスコアには佐々木さんが書いた4'33"論のような構造や藝術の枠組みを超えたものが内在しているようで、いまだに正体不明で興味が尽きません。

●ディック・ヒギンズのオーヴァーピースとアンダーピースという分け方にはなるほどと思いました。誰しもアンダーピースの差異で同じ作品を再演しがちですが、アンダーピースがオーヴァーピースの在り方に関与し、そのコンセプトを垣間見せないと面白くないですし、そこで作品の表現の振れ幅が生まれるものですよね。アンダーピースだけを売りにしたらいけません。恒例になるだけで内容は深化しません。新化したとしても進化していないので作品の真価が問われず、飽きられて捨てられます。常に産みの苦しみが必要です。藝術は厳しいですよ。

●木下氏の「セグメンツ」についてしっかり書いてあるのは嬉しかったです。あれは名盤です。最初の20分は雪の日に窓を開けて眼に飛び込む純白です。

大谷能生と木村覚の両氏が企画した室内楽コンサートは史上最高の名演でした。宇波君の曲のカッコよさ、杉本さんの童謡「蝶ちょ」の微分音、大蔵氏のキレっぷり、室内楽の最高形がバッチリ決まった夜で、新しい時代が始まると興奮したんですが、着いて来るリスナーは非常に少なかったようで大変残念。いやぁ、思い出してもあの晩は最高だった!

●気になるところを僭越ながら申し上げると、佐々木さんはコンセプチュアル・アートの良質なものをあまりご存じないような気がします。最良のコンセプチュアルのほうが圧倒的に少ないし、どこにも紹介が無いから仕方ありません。掃いて捨てるようなそれ風のものがいっぱいあるので要注意ですよ。ラ・モンテはチュードアが嫌いなんでしょうね。あの曲は「お前は馬か、それともお前が弾いている(引いている?)そのいかついピアノが馬か、どっちなんだ?」と喧嘩売ってるんじゃないでしょうか(笑)

ヴァレリーの「エウパリノス」の甘美なあの一文!やられました。脳が溶けそうな美しい指摘。アマゾンのマーケットプレイス岩波文庫が130円。速攻でポチりました。