重ね合わせ

空間という言葉を意味合いから逸脱して解釈してみよう。

3人の人に一斉に声を出してもらう。
「あ」「い」「う」
同時に重なった音響。それぞれの個々の音を聴き取ることはできない。
「あ」「い」「う」をフォントを重ねたら、潰れたような読めない文字になり空間は感じられない。
判別できなくても、声は響きだから空間的。文字は、図としてみたら空間ではない。
次。
樹のシルエットを画用紙に描く。
もう一本の樹のシルエットをその紙に重ねて描く。
これはフォントの重ね合わせと同じやり方だが、下に描かれた形の上に描く時、
それを完全に無視するのは難しい。線を重ねるときに、ちょっと抵抗を感じるし、下の線を見ながら重ねたりするだろう。
白紙に描く場合とは違う。
そもそも、二重に樹の形を重ねようとする時、樹との距離を考えてしまう。
ここに「空間」は在ると言えるのではないか。

フォントには空間はないが、手で書いた文字には空間は在る。書いてる間の時間がある。書かれた時が在る。
空間には時間が伴う。

物理的にはデタラメになるが、
デ・ジャヴにしろ、記憶の交錯にしろ、人は空間や時間を重ねるように考える事はできる。
人間の空間や時間はもやもやしてはっきりした実体がない。
曖昧で詩的。
嵩とか塊とか層とか・・・ひととき、つかの間・・・
そいいうところに芸術が「居」や「意」を構えるのではないか。