真夏のシルエット

最近、時間的体験について考えている。例えば、丘の上にある樹木のシルエットがあなたの目に入ったとしよう。それに釘付けになるようなことはないだろうか。それは印象的な瞬間で、まるで絵画のようだ。あなたはその魅力を確かめようと、徐々に樹木に近づいたとする。シルエットは段々と大きくなりながら、そのシルエットは解体されていく。木が手に触れるくらいまで来ると、葉や枝が光に揺らぐ様子が見える。葉の裏表がゆらゆら見え、枝の間から見える遠くの風景も同じように目に入ってくる。すべては移ろい、境界無く繋がっていく。それは一種のめまいだ。シルエットの体験とは別種の時間的体験である。シルエットがサインボードか、拍手の一打だとしたら、めまいは通奏低音かもしれない。前者は客観的で記号的、後者は対象の内部に入るような経験であり主観的な要素があるだろう。世界の見え方は、認識の如何を問わず、対象との距離によって変わってしまう。