絵画的


絵画作品にも時間を鑑賞することができる。絵画は静止した鏡ではない。
特にプロセスを意識させる作品については、間違いなくこのことが言えるだろう。そうでなければミニマル・ペインティングはただの柄に過ぎなくなる。
さて、→の作品、言うまでもなくミニマルの代表作だが、制作プロセスというよりもう少し下世話に制作過程を考えると「表現」が何を目指したものなのか、
わだかまりのようなものが見えてきてしまう。
ステラの作品のほうは、画像では分からないが大きなパネルの作品で、その厚みも6センチ以上はあるだろう。
刷毛の筆致が内側から外に向かって波紋のように広がっていったような「シェイプド・キャンヴァス」の作品だが、
刷毛の幅を計算してごっつい木製のパネルが作られている。
内側あるいは外側から刷毛で描いていった結果、そうなった作品ではなく、ミニマル・ペインティングを積極的に具現化する、という強い意志によって出来上がった「表現」だ。
後々のステラの制作態度が予感させられる。
隣のライマンも、目指しているところは違うものの、同様に刷毛の幅を考慮していない訳ではない。しかしこの作品は筆致を見つめる眼の速度が意識される。
そのことがステラのそれよりは自然な印象を受ける。
どちらも「ペインティング」が空間を作っていくものだが、ライマンのほうはあくまでも「絵画」から逸脱しようとはしていない。
戦略と表現が合致し、ムーヴメントに大いに奉仕した意味でステラの作品は高く評価すべきだが、私はライマンのスタンスのほうが好きだ。

振動や音を扱った作品でもそのような構造の空間性を持たせることも可能だろう。
杉本拓や木下和重が行っている作品はその良い例だろう。
私は音楽の実践がないので時間について考えるところから作品を作ったことが無い。
一時、自分でもそのことに取り組んでみたら何か発見があるのではないかと思っていた時期があった。
自主制作した「The Argyll Recordings」というアルバムの2枚目に「Duration」という作品を吹き込んだ。
これはスコットランドで録音したワイヤー・フェンスの振動の24分強の録音を最初に左チャンネルに収録し、その後、右チャンネルに440ヘルツのサイン波を同じ長さだけ収録した。
この作品は片方のチャンネルは音がしない。左が終わったら今度は右から音が出る。
私はこの作品が長いワイヤー・フェンスの空間的な印象を絵画的に意識し、左の緩やかな響きに対し、無変化の細長い線状の空間を対比させてみた。
この単純な構造はミニマル絵画のような空間を演出していると思う。
リスナーにこの単純な構造を聴くときに観想してほしいと思ったのだった。
私は珍しくこの自作をとても気に入っている。それは新鮮な方法だったからだろう。
或る種の突き放した態度がいつもの自分の録音とは違うものを見せてくれるからだろう。
しかし片方から音が出ない、というのはどうも嫌がられるようだ。誰からも好意的な意見を聞いていない。
まぁ、分からないでもないが、このままじゃちょっと悲しいので、何か書いてみようと思ったのがこのエントリーであった。