みなとみらい

私は家族での週末の簡単な気分転換に、みなとみらい地区によく行きます。

完全なショッピング・モールと化した赤レンガの変貌には愕然として、行く気も起きなかったのですが、
子供が生まれ、家庭ができると、
家具をどうしようか、などと、雑貨好きな妻に付き合って通ううちに、
あのあたりが好きになってきました。

独りもんの時は、絶対行かないような場所でしたが。

クィーンズ・イーストには息子が大好きなレゴショップがあります。
幼稚園に通っている頃のある日、ワールド・ポーターズのHMVでGary McFarlandの「Butterscotch Rum」をジャケ買いした晩、
赤レンガあたりの場所の雰囲気は自分の中に確定しました。
あのアルバムを聴くと、数年前の、今よりもっと面白い店があった
あの場所での、息子と妻とのちょっと懐かしい印象が再生されます。
アンティック・ショップで息子の姿が見えなくなり、焦って探すと
レジの中にいて、女性スタッフにお気に入りのレゴのホームページを見せていたことや、
3人そろって暗い帰り道を歩いて帰ったときのナトリウム光の色など、ひんやりした海風と一緒に自分の中に刻まれました。

数年前にあそこで行われた国際展に参加した個人的な理由のひとつは
そんなみなとみらい地区だったから、でした。
そして、息子のため、たまには少し規模の大きな展示に参加した形跡を作っておきたかったのです。

周到に用意された消費施設で、家具や雑貨を探すにも、
自分たちはちょっとは趣味のいい人間として、
あの施設のまさしく恰好のターゲットである、一消費者として訪れていたのです。
いい感じのBGMまでおまけにつけてしまいました。

決してあの辺りで物をいっぱい買い込むことはありませんが、
あそこは確実に私たち家族の消費の可能性の対象でした。
その意味で、あの場所に正式に参加できる条件は揃っていて、
それが家族という共同体を意識させ、
子供の成長と共にその場所が好きになっていたっと自己分析できます。
迂闊と言えば迂闊。
笑われるかもしれませんが、経済とは別の価値に満足を持ちたいと思っている自分は、すっかり罠にはまったようなものかもしれません。
それでも家族の中にゆっくり染み込んできたみなとみらいの景色は
自分にとって良いものだと思えるのです。

そんなことで、昨今の世界同時恐慌とか債務不履行などの話を聞くと、
この家族の景色が不用意に揺らぐような感じがして、
たとえ腐った構造であっても、
できれば現状を維持してほしい、と、
やはり思ってしまうのです。よくないですが。

震災や放射能被害などからしたらマッタク呑気な話です。



仮にこの国の状況が不幸にも
大きく変化してしまっても、まぁ、そこで何を選択するか、という知恵が働いて
新しい別の家族の景色が生まれるんでしょうけど、
できれば、お願いします、そっとしておいてほしいのです。




ちょっぴりおセンチ(死語)なエントリーですが
場所に関するものなので、一応。