私のフィールド・レコーディングについて

2011/08/22 角田俊也 recent works
l-e 大崎
19:30〜
http://www.l-e-osaki.org/?page_id=2
(地図をプリントアウトしてご来場ください。住宅地ゆえ目印になるものが少ないです)

【最近のフィールドワークの展開にまつわる制作を発表します。
特にこれとだと参照するものははっきりしませんが、
存在論のような世界に接近しているような気がします。
作品の説明から関心事についての話もさせてもらいます】





この催しではまさに「取って出し」的な現時点での制作の発表をしますが、
ただ何も言わず見せるだけでは何が問題か分かりにくいと思うので話をしたいと思います。
最近の実践の話の前提に過去の自分が出したCDなどから
私がどういうつもりでフィールド録音をしてきたかを話してみようと思います。
私の作品は常にフィールドワークです。
録画であれ録音であれ、それは結果としてフィールド・レコーディング(記録)です。
なぜそれにこだわるかというと「こういう作品を作りたい」という発想がないところから
始めた言ってみれば私的な実践でした。
好きな場所に行ってその様子を記録していきながら
色々なことに気づいていくための実践でした。
振動の挙動や物理現象のことは工学系の書籍や、物理の初歩の本などから
その振る舞いを知り、それを参考にその場所での結果を考えたりしました。
そうやって集まってきた録音を聴くと、実験音響のような作品としても鑑賞できるとも思えたし、
そのような趣向のあるいリスナーには、現実の細部の出来事が新鮮に受け止められるんじゃないかと想像しました。
実際、そういう反応が内外からあり、このまま作品になり得ているのではないか、と考えるようになりました。
自分の作曲のための音素材を探すとか、新種の音楽を作ろうと思ったものでもありません。
美術のフィールドだとしたら、その録音の発表現場はスピーカーが置いてあるだけのものであり、
あまりにも物足りない。展示には成り得ません。
私が考えていることはただひとつ、場所の記述についてです。
だからこそ、同じ場所で何度も何度も録音をしているのです。
その場所がそのようである何か、そこに表れる関係です。
これに関して自分には邪念はありません。
昨今、素晴らしい録音作品が巷に出ています。
しかし幸い、自分と似た問題意識を持って「やられた!」と思わせる結果を出した作家には出会っていません。
そのことが細々と制作を続けられる原動力になっているように思います。
こんな風に書くと、ずいぶんエラソーですが、自信が付くにはまだ時間がかかりそうです。
ざっくばらんにお話しできる時間を作りたいと思いますので、
是非ご来場ください。