Seijiro Murayama Toshiya Tsunoda


この作品はリリースするまでずいぶん時間がかかってしまった。
3年前の夏、村山のほうから私への打診があった。マイクをスネアの中に入れて録音してみたい、ということだった。最初は村山のソロ作品のつもりでいたが、話していくうちにプロジェクトになった。
その翌年の春に舞岡に行き、そこで2日間録音を行った。CD解説にあるように村山の操作によって叩かれることのないスネアの録音は終わったが、そこから問題が表れた。
アルバムにするために構造が必要になった。私たち自身はのんびりした陽の下でスネアにその空間の大気が染み込んでくれたようなことで満足しているのだが、アルバムにするとなるとそう単純にはいかない。
そこからメールでのやり取り(村山はフランス在住である)や、実際の話し合いで骨格が作られていった。この構造も解説にあるので省略するが、ここで何をしたいのかということのみを書いておきたい。これは私見である。村山はまた別の視点があるはずだ。
 公園がある。
春。そこにスネアがポンと置かれる。
太鼓の中に風や匂いや光、鳥の声、集う人の声。遠くから響く暗騒音が入ってくる。
色彩感に満ちている。
そのことで充分な気がしてくる。
よりよく味わうにはニュートラルな挿入物が必要だ。
ワインのテイスティングの合間に飲む水のようなもの。
そういうことで、空白と録音の構造を作ろうという思いに至った。
(実際は聞こえない5Hzの正弦波と10秒の無音になった)
そこにちょっとした仕掛けがある。
録音は村山と角田が各々が好みによって選んだ。
60テイクのいくつかは同じ録音が入っている。ジャケット裏の表を見て欲しい。同じ数字が見つかるだろう。それは同じテイクということだ。
これは記憶に関わっている。それは残像や余韻のようなもの。
意欲的な構造や斬新な表現から離れて、場所や時間に対面することを密かに意識した。
公園のベンチのようなものを作ってみたかったのだ。
それは癒しではない。
公園のベンチは現代アートや世界経済より重要かもしれない!