吉田アミ TAMARU

 フリーミュージックあるいは即興演奏による音楽は、演奏の形式を問う形として有効だった。当初は新たなジャンルを作ろうという意図はなかっただろうが、賛同者が増えると何でも一括りにされてしまう。
現在それは一般にジャンルに近い扱いを受け、演奏家もそれを前提としているように見える。
完全な即興、という言葉どうりに行うことは不可能だろう。それは大概打ち合わせ無しという程度かもしれない。
完全な白紙などは存在しない。
白紙の白にも歴史があるのだ。
その紙の縦横の比率にも。
ここから先は、何とも野暮な議論になりそうだが、即興演奏に関してこれだけは言っておきたいと思う。

即興演奏とは演奏家の振る舞い、その立ち回りが出現することの瞬間の連続を目撃することだ。

一体、その演奏家が何にどのように反応していくのか。

時間の白紙の上に、線や点が置かれると関係が面積となり、響くことで容積を獲得し、聞くものの記憶に奥行を描きながら染み入るのだ!

これ!このこと!

そこには観客の存在も、室内の環境も無関係ではない。
演奏家は鋭い感性でそれを翻訳し、自分の演奏の血肉とする。
観客もそのことに意識を強く持ち集中して受け止めれば、そこには自分の立ち位置すら危うくなるような芸術体験となるだろう。

演奏はあなた、観客は私、これが音楽です、と冷めていたら何も感じないだろう。

吉田アミの声は、まさにそのことを意識させる。
喉を響かせているものは何なのか。
声は誰でも持っている。それはキャラクターだ。つまり本人そのものを表すものである。

TAMARUの高円寺の円盤で5時間ベース・ソロは凄かったらしい。
その5時間は記憶にどんな全貌を現すのだろう。

音楽が響く空間とは何なのか。
建築が空間なのではない。
その空間の基準は演奏だ。

演奏が現れ、聴かれる場。
それは聴く人間の意識がその半分を成り立たせている。

私が彼らに初めてあったのは15年近く前だ。
マジカル・パワー・マコのへっぽこなライヴに突然参戦した吉田アミ
年齢に見合わぬ堂々たる姿は眼に焼きついている。

パリペキン・レコーズで勧められて買ったカセット作品「ミリオン・オブ・ゴースト」。
その後、店内で虹釜太郎に紹介されたTAMARU。
堅実な印象は私の中でずっと持続している。

今二人はどんな空間を描いてくれるのか。
私の中にはそのことに思いをはせる15年の歳月があるのだ。


エクスペリメンタル2
2010年07月24日(土曜日)
ループライン 千駄ヶ谷
www.loop-line.jp/

オランダから電子音楽家マータイン・テリンガが来日します。
向かい打つ日本側は吉田アミ・TAMARUデュオ。
どちらも1時間の長丁場、二本勝負です。

「薔薇蕎麦」で壮絶な声を聞かせたアミと円盤で5時間ものソロ演奏を行ったTAMARUのデュオはトンデモナイものになりそうな気がします!
賭け値無しの入魂のエクスペリメンタルをお聞きください。
マータインはBocaRatonより濃い演奏をすると思います。
彼自身のソロは電子音楽の良いところを感じさせます。


午後6時半会場・午後7時開演
予約¥2200+1ドリンク
当日¥2500+1ドリンク
03 5411 1312
info@loop-line.jp