風に撒く歌 串田孫一

anatema2010-03-13

「風に撒く歌」は鎌倉は小町通の古本店、木犀堂が1999年に500部作った、素晴らしい装丁の随筆集である。
店頭に特価1800円で置かれているのを見て衝撃を受けた。普段文学作品に縁遠い者なので、当然著者も知らない。一時の気の迷いかその衝動を疑いながら見ていくうちに、矢も盾もたまらず購入した(大袈裟かw)。
新品で1800円とは!
マーブル模様に似たしっかりした厚紙の外箱カバーの中央には古地図の太陽の図柄がデザインされている。
本は緑の樹脂地で、そこにも同じ太陽の図がエンボスされている。
表紙の裏にはドイツの市街図の版画があり、すべてのページに肌色に近い紫で葡萄の蔓の装飾の縁があしらわれている。
そこに教科書体のようなフォントで印字されている。
ほぼ1頁に収まる一篇には旧式の漢字が使われ、おのずと読む速度が整えられる。
詩とエッセイの中間で哲学的な趣の随筆は味わい深い。
装丁との相乗効果がじんわり響いてくる。
本にはISBNがふられていない。完全な自主制作だ。

この本は作り手の満足を極めている。
したがって印刷、製本には大変な金額がかかったのではないか。
いい感じの装丁の本は巷にままあるが、比べるとそれらは業界のアプリケーション・フォームに収まったものに過ぎなく思えてくる。ページのレイアウトは書物以前に決まっている。本の表紙にはお構いなく規制による不必要な整理番号などが打ち込まれる。とどめのバーコードで殺される。
そうしないと流通しないらしい。
何が流通するのか!

この本は木犀堂の10周年を記念して刊行されたもののようだが、資金は自分持ちだろう。宣伝は一切無い。

同じ本だったら文庫本でいい、読めればコピーだっていい、という発想を恥じ入らせる。
読めればいいのなら、本という形の必然性は無い。

私は「本」という文化的物体に直面させられた。
紙の束が板状に閉じられ、開いたときは大体、顔を覆う大きさ。
読みながら開いていく行為。
雪の上を歩いていくようだ。
凄い発明じゃないか?!
1枚ずつ紙をめくる。
紙片が手の中に積もっていく。
今日はここまで、と栞を閉じる。
時間の厚み。
また再び、と、本と読者は一緒に歩を進める。
著者はどこにいるのか。
本の中か自分の中か?
一緒に歩いていく。
読み終われば静かに書架の層に埋まる。
時間が経って再び分け入れば、新たな景色が見える。(キザだねw)

幸運であれば、作り手の満足は読み手の満足に比例する。
あぁ、芸術はやはり素晴らしい。尊いね。