ポロックの画集を見て

 最近書店にTaschenの日本語版の画集が出回っている。図版の印刷が鮮明であるだけでなく、画家や動向に関する記述内容も優秀で、一昔の国内で買える画集と比べたら雲泥の差がある。しかも安価だ。先日その中のジャクソン・ポロックの画集を見た。コンパクトながら初期から早すぎた晩年まで網羅されその画業が見渡せる。ポロックは抽象画家の革命児のように認識されるがどうも違う姿がそこから見えた。ポロックの仕事は原始美術、特に特にアニミズムへの興味に端を発するフォルムの生成にあった。彼のあの有名なドリッピング描法は、フォルムを描こうとしつつ、相反するかのような偶然に任せた行為に見える。その拮抗がスリリングだ。未確認だが足元に画面を置いたのはインディアンの砂絵などの影響があったらしい。彼は一時、フォルムを弱め、エナメル塗料によるドリッピングのみに執心した。それがあの有名な作品群となった。画集でもそれまでの作品とは違うソリッドさが際立つ。制作中の写真がこれまたセンセーショナルだった。塗料による描画行為が、絵画をひとつの場として捉えたことは革命的だった。ここから美術界に2つのアイデアが生まれた。画面全体を均一に捉え、画面を構成するオールオーバーという画面認識。もうひとつは「アクション・ペインティング」という言葉/手法である。
この2つこそポロック作品の核である、という認識は誰にとってもゆるぎないものであろう。しかし実際にその作業に専念していたクールな時代は長く続かない。その後、画面には再び以前のような単純化された具象図像、あるいは象徴的な印象のフォルムが表れる。ドリッピングは主張を弱め、オールオーバーの新たな展開は消えた。これは、昔気質の人間の不器用な様のような、あるいは自身が大きな方向転換を感じることなく、発展できなかったのかもしれない、というような解釈になるだろうか。先祖帰りしているように見える彼の絵は、抽象絵画の進化という視点から見ると歯痒いものが感じられる。しかし彼の絵画へのモチベーションは、傍から期待されたものとは違うようである。少なくとも画集に網羅された作品群から私はそんな印象を受けた。
彼の革命はセザンヌと抽象表現主義の絵画の間にうまくはまったのだ。抽象表現を目指す作家にとっては、まさに喉まで出かかっていた言葉のようなものだったかもしれない。多くの画家がオールオーバーを話の始めに持ち出した。ポロックの絵は彼らに「影響を与えた」という表現は適さない。ポロックのそれは抽象絵画というゲームの有効な駒だったのだ。影響を与えたのは「アクション」のほうである。私たちにとって分かり易い例は白髪一雄である。天井から縄を吊り下げ、そこに掴まって足の裏で油絵の具をこねる。白髪の作品は自身が関係した「具体」の諸作品との検証を割愛するのは問題かもしれないが、出来上がった絵画は何が言いたいのか分からない。絢爛な色彩の必要がないばかりか、絵である必然も感じられない。彼の絵が抽象画として無効に見えるのは、それが「アクション・ペインティング」という言葉にしかコミットしていないからだ。そこには抽象画を一歩進める駒が見当たらない。むしろ絵画の脈絡よりは、祝祭のような民俗芸能に近いものを感じる。何メートルもある草鞋や数珠を奉納するような。白髪の作品を新手の破墨だと言ったらそれは最悪の冗談になるだろう。
 ポロックに話を戻そう。画集でもっとも生き生きして見えたのは、フォルムがオールオーバーに飲み込まれる寸前の作品群だ。有効な駒が生みだされる瞬間。意義がある作品群と言えよう。しかし彼のずっと続いた本当の関心事、アニミズムと絵画の関係は、言ってみれば小説家と作品のテーマの関係に似たものと見做されてしまい、強い印象を観る者に与えない。しかし画業の全貌を見渡すと、ある種の躊躇のようなものを感じてしまう。私がポロックの画集で感じたことは、つまりこういうことだ。彼自身が力をこめた歌は聴いている人に届かなかったのではないか。聴いている人間は、その歌い方を、あるいは声質だけを喜んだのではないか。彼の一部の作品は驚きとともに響き渡ったが、自身はその評価に本当に満足しただろうか。彼がもっとも好きな作品は彼の代表作とは異なるのではないか。図像が生成される現場としての画面。その迫力。彼自身のリアリティは評価されず、一方では(彼にとって)のっぺりとした世界に運ばれ、もう一方では見るに耐えない事故の惨劇のような作品群にデポジットされた。ポロックの絵が持つ意義よりも、一画家としての悲哀を感じてしまった。