”Im Sefinental ” Stefan Thut . Manfred Werder

 ヴァンデルヴァイザー・レコーズからでた2人の作品集。
スイスの谷間での野外録音である。手法からしたらフィールド・レコーディング作品ということになろうが、まぎれもない彼ら流の作曲作品である。

ステファンのタイトルは「aussen raum」。2008年作。
楽譜はテキストである。以下のとおり。

(several times) an area outside
between sound and noise

マンフレッドのタイトルは「2008 3」。
同じくテキストの楽譜。

a hill
a valley
a moutain range
a lowland
a plateau
a river delta
a fjord

 2曲とも33分前後の録音。どんな音だろうか。涼しげな響きが、雄大なスイスの山脈に木霊するのだろうか。そうではない。チューニングの外れたFM放送のホワイトノイズのような音がずっと鳴っているだけだ。よく聴くと、どうやらとても静かな場所のようで、ノイズの元は川の流れらしい。しかし爽やかさはない。時折、鳥の声や虫、飛行機のかすかな音が虚ろに鳴る。2曲ともそれだけだ。よく聴きこんだとしても、両者はまったく同じに聞こえる。当然だろう、同じ場所で録音された作品だ。これを所謂「フィールド・レコーディング」だと期待するとそんな印象しか受けないだろう。

しかし楽譜を見てほしい。これは作曲作品なのだ。
 ステファンは記号を使ったインストラクションがポツポツと書かれた楽譜を用いた演奏を行う。楽曲の中で演奏者と観客が発せられる音のおよぶ範囲や価値を計るような作風である。今回のような作品珍しいものかもしれない。しかしこの譜から分かるように、楽曲の一番の下地となる空間に注目したものであるようだ。いつもの作曲作品を楽器を使わずに行ったのだろう。

 マンフレッドはずっと楽譜というメディアに注目してきた。単純に見れば詩のように単語が並ぶものが多い。これも同じである。興味深いのはこの実践が一体どんなものかということだ。これ以上書くと所謂ネタバレになるので触れないが、彼の曲の中に一箇所、ささやかながら大きな変化がある。これによって私たちはホワイトノイズから突然彼が立っていたであろう風景が頭に浮かびあがるのである!ビジュアル的にではなく、概念としての風景のようなものが。

 よくコンセプチュアルな作品は実演を見る必要がないという発言や、作家の提示する時間枠に身をゆだねるのを退屈だと拒む者がいるが、それは完全に間違っている。体験しなければ駄目なのだ。期待するものが在ろうと無かろうと!作品は文字どおり作家が作ったものだ。しかし音盤となると、途端に趣味の所有物と見られ、そこから良し悪しの判断が下されることが多い。嘆かわしい事実だ。しかしこのマンフレッドの作品はどうだ。その、一瞬によって浮かび上がるものが無ければ、何の機能も果たさない物体として、ラジオのノイズ以下の存在となってしまうだろう。
 所謂「コンセプチュアル」な作品は、聴き手/観手が絶対に必要なのだ。その作品は棚に収まる虚栄心でも慰み物でもアトラクションでもない。受身だけではいけない。作品はあなた自身の手によって、その眼・耳の前に広げられ、自身の体験として体験されるものなのだ。物体でも精神でもないようなもの。作品を作家と共に形作るのはあなたなのだ。この繊細なものを生かすも殺すもあなた次第。この作品はそのことが分かる良い例でもある。