コンクレーティズム

http://www.editionnord.com/event/concretism/

あの「ロックマガジン」の阿木譲氏のこの企画、23日の埼玉県立近代美術館主任学芸員の梅津元さんの企画に、オプトロンの伊東さんと参加します。
この日は阿木さんは会場にいません。
私のライヴは以前、塾ボックスや栃木県美などでやったことのあるアレです。
話もできるので、ちょっとアレンジを変えてみようと思います。
よろしければ是非!
80年代の貴重なカセットやレコードの並ぶ阿木さんの資料展示も面白いですし、
阿木さんが作ってる0gという完全自主本は「ロックマガジン」っぽくって欲しくなりますよ。
現在2.5バージョンまで出ていて、私も1と2を会場で買う予定です。

8/23 18:00- _ スピンオフ2|Sound of the Real|入場料2000円|企画:梅津元
美術/視覚と音楽/聴覚の双方を視野に入れ、コンクレーティズムと交差するリアルな音の在処を問う。
サウンドトーク=梅津元[埼玉県立近代美術館主任学芸員/芸術学]
トーク&ライブ=角田俊也[フィールドレコーディング/アーティスト]
トーク&ライブ=伊東篤宏[美術家 / OPTRON プレイヤー

バックグランド

 今朝の「日曜美術館」は志村ふくみという染織家が特集されていた。染料になる植物を集め、糸を染め自ら織っていく作業過程での発言は示唆に富み、興味深いものがあった。工房で共に働く若い女性作家の、植物の命が失われたのではなく、色彩になって織物の移動していく、という発言も心に残った。手のかかる作業、気が抜けない仕事である。上品な色彩に染められた糸は陽光に当てられ金色に輝いて美しい。蓮の茎から糸を作るというのも驚いた。現在、志村氏が織っている大きな抽象画のような青い布を見せながら、これは僧侶が旅をして、海に行き、これから織っていく山に行く、そういうものを表現している、織ることは旅をするのと同じ、と語っていた。機織などしたことないが、なるほどと納得できる意見だ。染織に興味が出てきた。しかし、しかしである。工房で仕立てられた着物になった途端、何かがごっそりと消えた。そして着物の発表会を兼ねた集いでの婦人たちの和服姿には、あの尊くも素晴らしい繊細な作業は見えてこない。その魅力は消して余りあるほどに退屈極まりない世界だった。自然と人との美しい関係は一切見えてこない。あの折角の糸と染料はどこに消えてしまったのだろうか。そこが染織の正しい落としどころなのだろうか。以前、資料で見た芭蕉布の着物姿にはこのような違和感はまったく感じなかったので衝撃は凄まじい。一体これはどういうことなのだろうか。工芸の世界独特の事柄なのだろうか。近代絵画や現代美術はその制作作業のバックグランドを見せられても作品の評価に変わりはない。むしろ切り離されることで見えてくる世界だ。制作プロセスを想像させる作品であってもそうだ。ウォルフガング・ライプの花粉も現代美術作品として例外ではない。瞬間の世界に属している。ここで言うバックグランドとは文脈のことではない。文学作品にはそのようなバックグランドは無い。物体を作っているのではないからだ。文学の場合、同じ意味で重要なのは思想的文脈である。文人画や詩人の絵が時に面白いのは、作家の思想をそこに重ね合わせるからである。工芸の世界にはバックグランドの面白いものが多々ある。自然を相手にする制作は否が応でも大きなサイクルに巻き込まれるからなのだろうか。それは生態系を想わせる。バックグランドが見えたからどうだとか、どちらが良いとかではないが、料理よりも厨房が面白いような、あまりのギャップに考えさせられた。結論。染織と着物は別々の世界なのだ。
(どうでもいいが「日曜美術館」のBGM、何とかならんかなぁ…)

佐々木敦著 「4分33秒」論 

 ジョン・ケージとは関係ないが読んでみようと購入したら、何と私のことが書かれていて驚きました。懐かしいコンピCDが取り上げられており、あぁ、これか、と。そういえばケージとちょっとだけ関係ありましたね。この本はジョン・ケージ論ではなく4'33"を考え、そこから何が見えるか考えたものです。最初にこれを確認しないといけない。しかし、こういうややこしいことを言ったり書いたりしてくれるのは、佐々木さんしかいないんですね。これは6年前のBRAINZでの講演をもとに編纂された本です。
この本は一気に読める面白いものです。本屋さんで見当たらないときはディスク・ユニオンに行きましょう。P-Vainからの出版物です。読んでいたら佐々木さんと話しているような気分になったので、思いつくまま感想を書いてみたくなりました。

●コンピCD「45’18”」への参加の経緯について。これはWrkに興味を持ってくれたMeeuwn Muzakのヨース氏がファックスかメールで冗談のような感じで4'33"のリミックスって面白くないかい?みたいな感じ振ってきて、こちらも何かのついでだったので「サゥンズグッ!」みたいな返事をしていたら、何やら知らぬ間に進行していたのでした。今更引くのも何だし、これはちゃんとやらないと、とメンバーで話し合ったのを覚えています。結局私と志水氏の作品が採用され、CDが送られてきて初めてKorm Plasticsからリリースだと知りました。
さて音源をどうしたものか考えたとき、佐々木さんが書いてる通り、枠としてこれを使って、実験音楽とは別のものをそこに盛ってみようと考えました。枠であるなら村境だな、と明治の頃に横須賀にあった豊島町をモチーフにしました。この町は現在21に分割された比較的大きな地域で、1キロ離れた海上猿島も含まれていました。第1楽章はその猿島の波の音。第2楽章は中里トンネル近くの振動。ここは横須賀の上町周辺が便利な生活の場となるために必要な隋道でした。そして第3楽章は市立図書館近くの銭湯の横の路地。風呂釜の燃える横で子供の走る足音が聞こえます。当時三浦半島郷土史本を読み漁っていた時期で、その興味から生まれた作品です。4'33"のコンピとなれば如何にもな内容になると予想し、定義めいた作品にするより正当なアプローチで、透明な入れ物に好きなものを注いでみよう、という発想でした。私はライナーに豊島町に関する文献を参考に長めの文章を書いています。内容はリスナーの恐らく誰もが知らない今は無い町の歴史です。ですので、冒頭に書いたように、ケージは好きな作曲家ですが、自分の制作には関係ありませんので、よろしくご理解願います。
ちなみに志水児王の作品は、彼自身が既に作っていたアセテート盤を使っています。アセテート盤は熱で溝を切ります。通常だと33回転あるいは45回転でアセテート盤を回転させながらダイレクト・カッティングしていきますが、彼はマシンの回転を止め、録音した音声信号を流している間、盤面に熱を送りこみました。出来上がった盤はたったひとつの点があるだけ。そこにカートリッジを落として録音したものです。この盤は以前、埼玉県立美術館での彼の個展で展示されていました。
この「45’18”」は200枚しかプレスされなかったもので入手は困難かもしれませんね。

●Skitiの第1弾のマンフレッド・ヴェルダーのCD、あれが私とマンフレッドとの初コラボでした。河原乞食の基本に帰ろうと多摩川べりで行われた「天狗と狐の野外コンサート」でのヒトコマ。最初、秋山キャプテンはギターに河原の石を置いたり、弦を緩めたり、大蔵氏は小田急線の走行音に反応してサックスを吹いていました。私もタンブーラの弦を風に揺れるセイタカアワダチ草に触れさせたりしていましたが、その後、絵を描く眼で対岸の景色を見つめていました。その後、他の二人も同じように対岸を見つめていました。3人がはっと気づいて演奏終了。録音をよく聴いてください。最初のほうは観客の音や携帯の呼び鈴や子供の歩く音や河原の暗騒音などが響いていますが、徐々に音数が減っていき、最後には鳥すら啼かなくなっていきます。そして終了の拍手が起こる。この変化が面白くてリリースを即断しました。マンフレッドのスコアには佐々木さんが書いた4'33"論のような構造や藝術の枠組みを超えたものが内在しているようで、いまだに正体不明で興味が尽きません。

●ディック・ヒギンズのオーヴァーピースとアンダーピースという分け方にはなるほどと思いました。誰しもアンダーピースの差異で同じ作品を再演しがちですが、アンダーピースがオーヴァーピースの在り方に関与し、そのコンセプトを垣間見せないと面白くないですし、そこで作品の表現の振れ幅が生まれるものですよね。アンダーピースだけを売りにしたらいけません。恒例になるだけで内容は深化しません。新化したとしても進化していないので作品の真価が問われず、飽きられて捨てられます。常に産みの苦しみが必要です。藝術は厳しいですよ。

●木下氏の「セグメンツ」についてしっかり書いてあるのは嬉しかったです。あれは名盤です。最初の20分は雪の日に窓を開けて眼に飛び込む純白です。

大谷能生と木村覚の両氏が企画した室内楽コンサートは史上最高の名演でした。宇波君の曲のカッコよさ、杉本さんの童謡「蝶ちょ」の微分音、大蔵氏のキレっぷり、室内楽の最高形がバッチリ決まった夜で、新しい時代が始まると興奮したんですが、着いて来るリスナーは非常に少なかったようで大変残念。いやぁ、思い出してもあの晩は最高だった!

●気になるところを僭越ながら申し上げると、佐々木さんはコンセプチュアル・アートの良質なものをあまりご存じないような気がします。最良のコンセプチュアルのほうが圧倒的に少ないし、どこにも紹介が無いから仕方ありません。掃いて捨てるようなそれ風のものがいっぱいあるので要注意ですよ。ラ・モンテはチュードアが嫌いなんでしょうね。あの曲は「お前は馬か、それともお前が弾いている(引いている?)そのいかついピアノが馬か、どっちなんだ?」と喧嘩売ってるんじゃないでしょうか(笑)

ヴァレリーの「エウパリノス」の甘美なあの一文!やられました。脳が溶けそうな美しい指摘。アマゾンのマーケットプレイス岩波文庫が130円。速攻でポチりました。

Leader As Gutter

http://www.takaishiigallery.com/jp/archives/8877/
Lukeとの共作は三作目になります。08年のトリエンナーレでの一作目は音響・振動との複合的な作品でしたが、それ以降は映像に重点が置かれています。二作目はドイツとスコットランドで展示しましたが、その映像は10年の夏に二人でケルンで撮影したものです。今回の作品は映像の彫刻的な作品になりました。8㎜の透明アクリル板を百数十枚重ね、その積み上げた側面、切断面の一面を研磨し、そこに16㎜映像を映しています。映像の撮影はLukeですが、展示の大まかな設定やフィルムのモチーフの提案は私のほうから発信し、メールでやり取りしながら、可能な部分は互いにテストして最終的に決定に至りました。音響もわずかに使用していますが、これは会場での映写光の移動と映像の中に出てくるテキストから展示の最後に導き出したものです。