manfred werder / toshiya tsunoda





manfred werder / toshiya tsunoda

























2013年4月28日(日)開場18:00 19:00-21:00  於 l-e (大崎/戸越銀座)
マンフレッドと角田による公開録音です. 鑑賞に際し多少不自由があるかもしれませんがご容赦願います.
 東京都品川区豊町1-3-11スノーベル豊町 B1
大崎駅・戸越駅から徒歩12分 http://www.l-e-osaki.org *地図はWEBをご覧ください.
☎ 050-3309-7742(17時以降・ライブのある日のみ対応)

言葉を聴く楽しみ

まずはここに上げた音源を聴いてほしい。
https://soundcloud.com/toshi/was-ist-das
これはArthur Køpckeという作家が読んだ自作の詩「Was Ist Das」。1950年代の後半に録音されたものをCDで復刻したものの抜粋である。
オランダ語のようだが、私たちには言葉が分からないため、当然内容も掴めない。読経のような、淡々と何かを読んでいく語り口。聴いていて妙に落ち着く。
恐らく当時普及していたオープンレコーダーの録音だろう、かなりローファイである。それが味わいを増している。
私はこのCDを時折引っ張り出しては聴いている。聴いているうちに、この声の主の呼吸に、自分の呼吸を合わせるようにして気持ちが落ち着いてくる。60分、最後まで聴くと静かな爽快感を覚える。
意味の分からない朗読はいい。他にもこういう語りの録音はないものか。探してみるがなかなか無いのだ。

日本ではあまり見かけないが、海外の中古レコード店にはSpoken Wordsというコーナーがあり、そこには朗読だけではなくギリシャ悲劇からコメディまで幅広い表現が詰め込まれている。いくつか抜き出して試聴してみると、求めるものと全く違うのである。言葉は分からないことは同じだが、声に表現しようとする抑揚があり、それが気になってしまうのだ。声に意味するところに積極性が宿り、想像力が刺激されてしまう。

意味を抜き去った言葉の響きといっても、ハナモゲラ語でもコバイア語では困る。疑似言語は数分聞けばすぐバレてしまう。
個人が勝手に作ったものと、特定の文化に属したものとの間には、圧倒的なリアリティに差があるのだ。
言語は一夜にしてできたものではない。ひとつの文化である。その発音の形を味わいたいのだ。

これは百戦錬磨の実験的な音楽の楽しみ方とは異なる。専門店にはオーロラの電磁波、動物の鳴き声、スパイ放送、環境音などなど非音楽のレコードが入手可能だ。気の振れた人の呻き声のような音声詩のファンもいる。
ここに挙げている言葉を聴くことでは、音響だけに興味があるのではない。
言葉が確立する長い歴史があったであろうことを想像したうえで、文化の物質的な姿をしげしげと味わいたいのである。音楽とは別の聴き方である。
以前からこのような考えを何となく持っていたが、最近小さい石斧を手に入れたことで改めてこの思いが明確になった。
石斧はアメリカから出土した紀元1万年頃のものだが、美しい赤茶色をした非常に硬い石で一見するとなんの変哲もない石ころだが、片辺がエッジを効かせた歯のように加工されている。手に持ってみると指にピッタリくる。この手触りによってヒトが使用していた道具だと実感できる。
言葉の音もこの実感できる手触りと同じである。イタリア語にはイタリア語の歴史があるように、言葉は何千年もかかった文化の結晶だ。そこには特定の地域と時代の形がある。他の土地で育った植物の形が徐々に変化していくのと同じである。これを頭に思い描いて朗読を楽しむのである。
ただ音だけ聴こうとしていたら60分も聴き通せない。

別の方向から考えてみよう。
もし実際に目の前にArthur Køpckeが居て、この詩のようなものを朗読したらどうだろうか。
目の前に人がいたらその存在が大いに気になってしまう。何を喋っているのか無視して目の前にいる人間を見る、ということは非常に奇妙な経験である。言葉の形以上の別の問題が浮上してきてしまい、声など頭に入ってこないだろう。不鮮明な記録物なので言葉の形だけが伝わってくる。
声と文字はその起源を同じくするものではないが、文字との関係で考えみよう。グルジア語やカンボジア語のようなものを見ると、私たちの慣れ親しんだ文字と余りに似ていないため、形の特徴だけが見えてくる。それらはアルファベットやハングルよりもずっと図形的であるが、決して単なる図形には見えてこない。
文字の形が発音やその国々の伝統芸術と何か似た匂いを感じるように、抽象的なレベルで言葉の形というものがある、と想定してからでないと、言葉を聴くことは楽しめない。
極端にデフォルメされ、文字に見えないタイポグラフィも、一旦、文字と認識されると二度と図形に還元できなくなるように、私たちは意味の分かる言葉を単なる記号と見なすのことは非常に難しい。
意味の分からない朗読を聴くことは、言葉を聴いていると認識した上に成り立つ楽しみ方なのである。
子音の弾け方、母音の音律など、言葉の形を愛でるように聴くこと。
母国語では到達不可能な無重力体験である。映画「惑星ソラリス」で一時だけ無重力になる美しいシーンがあるが、あれと同じでそのチャンスは限られている。

ここに書いた「言葉を聴く」という行為は、一般に認知されにく、ハードルの高い楽しみ方だろう。それこそ実験的ではないかと言われるだろう。
だがこれは決して音楽を聴くことと同義でないと私は主張したい。たとえそれが抑揚の無い特殊な演奏を聴いたのと同じ効果をもたらすとしても、だ。意味の分からない発音だけのの朗読でも言葉は言葉なのだ。
何でもかんでも音楽と言わないでほしい。そう言いたくなるほど特殊で実験的な音の作品は山ほどあるが、それぞれ由来の異なる記録たちの、それぞれに宿る独自性を顧みることなしに、特殊な音楽の聴取と見なすことほど貧しいことはないのではないか。
聴こえる音は何でも音楽だという考えは極めて無粋である。
それは作品が成り立つ脈絡を消し去ってたくさんの可能性を画一化し、蛙も鶴も鯛も貉もみな同じ掃き溜めにぶち込んでしまうのだ。

新作に関して話す会

3月2日(土) 19:00開場 19:30開始
新作に関して、または聴くだけで終わらない作品の魅力について 出演:Toshiya Tsunoda 
於Ftarri Shop水道橋
http://www.ftarri.com/suidobashi/index.html

お土産音源は未発表テイクとか、実験ものの何かとかの有りがちなものではなく、音質や録音などに関する自由なコンピです。
1.Oenone – Fingal’s Cave PINK FLOYD from “OmayYad” (bootleg) 
砂丘」のサントラのアウトテイク。未発表曲。

2.Was Ist Das (extracts) Arthur Køpcke Edition Block Berlin
ディーター・ロートのようなフリーフォームの画家の詩。1958/59の録音

3.賛歌「海の星」 フレスコヴァルディ Albert De Klerk, Organ “小さなオルガンのための貴重な作品集”

4.タイの北方民族 ラフ族「自由なポリフォニーの曲NHK FM(1981) 小泉文夫『世界の民族音楽』より

5.三徳川のせせらぎとカジカガエル(extracts) 鳥取県三朝温泉

6.タイの北方民族 ラフ族「愛の歌NHK FM(1981) 小泉文夫『世界の民族音楽』より

7.Arhim. Ilie Cleopa “Cuvinte Duhoviceşti” (extracts) ルーマニア正教のカセットテープ

8.Trees KING CRIMSON Croydon,Fairfield Hall, Oct 17, 1969) from The CollectorsKing Crimson
第1期クリムゾンのあまり存在を知られていない曲。
9.Je Me Meta ā Genoux Devant Toi Mesrop Machdotz作曲 (361-440)
from “ARMENIE Chants Liturgious Du Moyen-Age” アルメニアの5世紀の聖歌

10.Die Pretiosa und Das Spätgotiche Großgeläute Martin Seider “Die Kölner Doglocken”
ケルン大聖堂の鐘楼

11.越中おわら節 正調(ひらうた) 越中おわら節保存会 “越中おわら節名人競演集”

12.Πότε Θα’ρθει η άνοιξη  ΧΡΗΣΤOΣ ΠΕΡΚΑΣ(vocal), ΒΑΓΓΕΚΟΣ ΚΑΣΙΡΑΣ(violin) 
ギリシャ、トリカラのローカル・カセット


新作アルバム「The Temple Recording」「O KOKOS TIS ANIXIS」(どちらも2枚組)についてのコンセプトと、それに関係ありそうな作家の作品などを例に挙げながら、制作に関する話をします。また、私自身が興味を持っている作家の作品の意義と魅力についても話したいと思っています。例:Mattinの音盤、杉本拓「ドレミロジー」、ヴァンデルヴァイザーの作品、宇波拓+川口貴大「テオトロ・アッセンテ」、木下和重「セグメンツ」等

新作に関しては↓参照
http://d.hatena.ne.jp/anatema/20130213

新作CDについて

先日2枚組CDを2種出版した。
例によってややこしめなコンセプト文はバイリンガルで載せてあるが、もうちょとぶっちゃけた話を書いておこうと思う。
今回の2作は自分にとって少し制作が進んだ感のある作品と認識しているので、その理由をなるべく理解してほしいと思うからである。
まずは「The Temple Recording Toshiya Tsunoda」から。

これは海外でインスタレーションのような形で去年から数回発表している。
録音は3年前のものだ。
作品の発端はずいぶん昔に遡る。

中学校の時、親友たちと近くの海でよく日の出を見に行ったが、その時、一緒に見ている色彩が果たして同じように体験されてるのだろうか、という思いが頭をよぎった。
生まれた時から赤が青く見えていたらどうやってもお互いの体験は比べることができないだろう。当時は脳を入れ替えたり眼球を入れ替えれば分かるだろうと話し合ったが、
恐らくそれでも無理だろう。体験の積み重ねが感覚器や脳に既に働きかけ形作られているから、そう簡単にはいかない。
作品のルーツはここにある。それともう一つ。
これも高校時代のものだ。友人たちとマネキンの首をちょん切って、バイノーラルマイクを作った。そのマイクでステレオ音響の定位に関心が湧いた。
空間に包まれるような聴こえ方は一体どういうことなのか。
体験を想起させる音響体験とは何か。体験と場所を別々に分けることはできないのではないか。

体験はその人固有のものだから、二人で同じものを同じ場所と時間に見ても同じ印象を受けているとは限らない。
同じ風景を見ているとき、恐らく他人も同じ体験が生じているだろうと信じるしか術はない。
そこで、或る風景を前に、二人でひとつのステレオを作ってみようと考えた。
風景を一緒に見ている体験の記録なので、そこに居る、身体の音が入ったほうがいいと考えた。
そこで、聴診器に小型エアーマイクを仕込み、こめかみに固定し録音。
マイクは筋肉や血流の振動を拾うだけでなく、周囲の環境音も入る。
左右のこめかみマイクはレコーダーの左右のチャンネルに振り分けられる。
この録音は拡張されたステレオ音響かもしれない。
また、何でも風景に成り得る。それは向き合った時に形作られるものだと思います。
これは風景が体験されている間のフィールド録音だと言えるだろう。
上記の疑問などを考慮に入れたらフィールドは場所を指すだけの意味に留まらない。

この録音はヘッドフォンで聞くことが適しているかもしれない。
拡張されたステレオである。
作品の内容は保証しない。感覚的で面白い音響を作ろうと思って行った作品ではない。或る場所が風景が体験されている間の記録。異常な録音であることは間違いない。
一つのステレオ音響を二人で作るということ。
それをステレオと見なせるのは、オーディオシステムの助けを得ている訳だが、実際、ここに超越的な視点は成り立つだろうか。
これをパフォーマンスにして人前で実演したら、作品は先の「視点が成り立つか」という疑問に収斂して、録音作品とは別の意味を持つだろう。
ジャケットとフォトカード2枚の撮影は坂田峰夫である。

2枚組になっているが、もう一枚のCDは以前椎木静寧氏のキュレーションで行われた「きこえないおと」展(TALION GALLERY)で頒布されたCDを追加した。
つまりもう1枚のCDはPreviously Releasedである。http://d.hatena.ne.jp/anatema/20120624
これは椎木さんの知り合いの画家とその友人によって一つのステレオ音響を二人で作ったものだ。
先に書いたこめかみ録音と設定は同じである。
こちらには5つトラックがあるが、二人で自分にしか聞こえない音でハミングをしてもらっているものがある。
(音程はギター用の音叉を基準にしている)
その意図は、二人を彫刻のように考えた結果である。
展示では椎木さんの撮影した写真が展示されたが、今回のパッケージ化に際してA2サイズのポスターを作った。
これは単なる宣伝ポスターではなく、作品の一部と考えている。
ご覧いただければ分かると思うがポスターの中央で折る訳にはいかない図像だ。

筒や箱に収めほしいところだが、海外の郵便事情は劣悪でポストに入らないとそのまま放置されてしまうそうだ。
残念なことに海外ではポスターの流通は難しい。そこで国内限定と相成った。
ポスターの代わりに小さいカードを作って挿入したが、ポスターと比べると明らかに見劣りする。
部屋に貼る貼らないは別としてポスターを見てほしい。
しっかりした紙の悪くない印刷である。

300枚のプレスCD、3枚のフォトカードとポスター付、店頭では2000円くらいだろうか。

O KOKOS TIS ANIXIS  Toshiya Tsunoda

フィールド録音を部屋に持ち帰って聴く。自分は何かを探そうとして聴いてしまうが、同時にその録音に対してどのような意見が提出できるか考え始める。
何かしら注目することが見つかると、それが録音のテーマのように見え、他の録音を思い返し、共通点を探り出す。
昨年からマイクを大幅にグレードアップしたものに交換したせいか、細かい音やはっきりしない響きに注意が行くようになった。
フィールド録音を作品として出すとき、偶発性の問題が出てくる。そこで何が起きるかコントロールはできない。
音楽的な意図をもって変更する作家がいるが自分にはできないことだ。それよりも自分が何にどう注目しているか示したほうがいいと考える。
そこで、今回は各録音にその場所の特徴を表す小さな出来事に注目し、
それを繰り返しループとして録音素材を中断するように挿入してみた。
一瞬を繰り返してみると、偶発性が余計に意識される。
作品解説文に「私たちは録音の現場で起こる偶発性を操作できない。そこに寄り添うように関わるしか成す術がない」と書いたが、まさにそのようにそこで注目したポイントに焦点を当ててみた。
つまり作り手が構成を考えるのではなく、その偶発性に従って私が注目している部分を強調してみた。
したがってこれはトラックの長さや全体のバランスのような視点でループを挿入したものではない。注目した出来事が起きた時にそれを行った。
唐突にループが入るのでリスナーはCDがエラーしていると勘違いするかもしれない。
リスナーは唐突に流れを分断する不可解な音響に出会うだろう。一瞬に物凄い密度があることが理解される。その一瞬が連続しているのだ。
ここに収録された録音は2012年の3月から6月の間に行われた。
春の音。ただそうであるだけで凄い気がしてしまう。
私が各トラックで注目したものを列挙する。
disc 1
1.小さい木の実が風で揺れて草叢に落ちる音
2.鶯の鳴き声のシーケンス
3.山寺の境内の出来事
4.徐々に暮れゆく空き地に響く音
disc 2
1.祠のトタン屋根に落ちる枝の破片
2.風で枝が擦れて生じる一瞬の高い音
3.池とその周りの出来事
4.漁師の焚火の爆ぜる音

タイトルはギリシャ語で「春の粒子」。
数年前から中世や古代の哲学を読んでいて、その創造性に興味を持っている。
今回はアトミズムのようなものを風景の中にいて感じたのでギリシャ語にしてみた。
この2枚組CDは2枚とも72分以上収録されている。パッケージの裏には英文のコンセプト文があるがケースの中には日本語訳を入れている。
300プレスCD。
こちらは1700円前後ではないだろうか。




いずれの作品も水道橋のFtarriと高円寺の円盤に置かれている。
近々TALION GALLERYとl-e大崎にも置いてもらう予定。
海外はErstwhile RecordsとMetamikineに出しているがTemple Recordingにポスターは付かない。

明日のおまけです!

ギリシャの女性歌手、フレーリ・ダントーナキのハジダキスの歌曲集。
このレコードは私の、比較的入手困難で失いたくないレコードの5番目以内に入るものです。
とてもいい!現地じゃCD化されてるかもしれませんけどね。名盤です。プログレではありません。
このジャケがものを言ってますでしょう?ふふふ。

1bitレコーダーで盤起こし、24bitで編集、傷音除去はしません。トリミングしてトラックだけ切っておきます。
ちゃんとジャケも印刷しましたよ。
太陽誘電の盤です。
もし私がこのLPを不慮の事故等で失ったときはダビングしてください。
一応20枚ほど用意しておきます。
行こうか迷ってるそこのあなた!
選挙行った足で是非、大崎まで来ましょう。
(選挙も必ず行きましょう!)

7時に始まります。
l-eマガジンの第2号も完成している模様!
是非是非!

12月16日(日)  open16:30 start 19:00  

関心の壺 第2回 「録音について」 

出演: 柳川真法(Amephone) 宇波拓  角田俊也  
於 l-e 大崎 


録音についての話というと大体は技術の話になる。

AKGB&Wがどうした ProToolsでどうのこうの、こういう話も面白いのだろうけれど、自分にとってはその昔の生録の苦労話や友人から聞いたカセット録音の秘訣のほうがずっと面白い。

録音にはその対象との関係があるが、そこにもっと大きな脈絡があるのを皆忘れているかのようです。

世の中にはメカ好きな人間もいるので分からないこともないですが、技術以外のことで録音を語ることも可能です。



AMEPHONEの作品に初めて接したのは渋谷のパリペキンでした。あの店の「乾いた世界」というジャンルでミニCDを買いました。

しかし本当の邂逅はその15年後の「エスキス3/3」を購入してからかもしれません。

その録音はまるでモランディの絵のようです。

モランディの絵は一見乳白色の明度差の少ない白濁したように見えますが、描かれたモチーフがまとっている空気が見えた時に眼差しが見えない細部にまで引き込まれます。

そこにはデジタル・ハイファイでは決して為しえない音楽空間が定位しています。

彼の描く詩の世界と同じ奥行きがあるのです。




宇波 拓の録音哲学は一体どうなっているのでしょうか。

以前自作曲を収録の際、通常の録音とは逆に、演奏者をマイクに向けて各々十分な距離を取って垂直方向に配しました。

そして出来上がったCDのゲインは極端に低く抑え込まれていました。

そうかと思えばかえる目の録音などは録音空間がそのまま現出したかのような超リアルな録音も行います。

自身で可能なはずなのにわざわざフランスかEric La Casaを呼んで録音を委託したりと、まるで虚も実も同じ世界だと言わんばかりです。




この企画の発案者である角田俊也も細々と録音を続けてきました。これが何になるのかと思いつつフィールド録音を続け、溜まったDATから抜粋しCDをリリースしてきました。

録音していた当時はこれが何になるのか、と否定的な気持ちが強かったためか、楽観的な感覚には成りにくい。

昨今フィールドレコーディングはひとつの音楽ジャンルのような様相を呈してきたようです。しかしこれは自分にとっては難しい。

文字通りにみれば、場所の録音なのにそのフィールドにこだわっている作品が少ないようです。

逆に場所にこだわったからといって録音が正当化される訳でもない。

そこに何かが無ければ作品にはならないと思います。


そんな訳で、今回は気負いなく録音について話す会を行いたいと考えています。詳しい内容は追々決まっていくでしょう。

気に入った録音物をかける、自分の録音哲学を話すなどなど。

最後はお客さんを含めて座談会のようになる時間も持ちたいと思います。

録音について興味のある方は是非遊びに来てください。

壊と関係のない音盤のお土産も用意しておきます。

よろしくお願いします。(角田俊也)


l-e 東京都品川区豊町1-3-11 スノーベル豊町 B1 http://www.l-e-osaki.org/ 

tel : 050-3309-7742(電話は、ライブのある日の午後5時以降にお願いします) e-mail:

関心の壺 第2回 「録音について」

12月16日(日)  open16:30 start 19:00  
関心の壺 第2回 「録音について」 
出演: 柳川真法(Amephone) 宇波拓  角田俊也  
於 l-e 大崎 

録音についての話というと大体は技術の話になる。
AKGB&Wがどうした ProToolsでどうのこうの、こういう話も面白いのだろうけれど、自分にとってはその昔の生録の苦労話や友人から聞いたカセット録音の秘訣のほうがずっと面白い。
録音にはその対象との関係があるが、そこにもっと大きな脈絡があるのを皆忘れているかのようです。
世の中にはメカ好きな人間もいるので分からないこともないですが、技術以外のことで録音を語ることも可能です。



AMEPHONEの作品に初めて接したのは渋谷のパリペキンでした。あの店の「乾いた世界」というジャンルでミニCDを買いました。
しかし本当の邂逅はその15年後の「エスキス3/3」を購入してからかもしれません。
その録音はまるでモランディの絵のようです。
モランディの絵は一見乳白色の明度差の少ない白濁したように見えますが、描かれたモチーフがまとっている空気が見えた時に眼差しが見えない細部にまで引き込まれます。
そこにはデジタル・ハイファイでは決して為しえない音楽空間が定位しています。
彼の描く詩の世界と同じ奥行きがあるのです。




宇波 拓の録音哲学は一体どうなっているのでしょうか。
以前自作曲を収録の際、通常の録音とは逆に、演奏者をマイクに向けて各々十分な距離を取って垂直方向に配しました。
そして出来上がったCDのゲインは極端に低く抑え込まれていました。
そうかと思えばかえる目の録音などは録音空間がそのまま現出したかのような超リアルな録音も行います。
自身で可能なはずなのにわざわざフランスかEric La Casaを呼んで録音を委託したりと、まるで虚も実も同じ世界だと言わんばかりです。




この企画の発案者である角田俊也も細々と録音を続けてきました。これが何になるのかと思いつつフィールド録音を続け、溜まったDATから抜粋しCDをリリースしてきました。
録音していた当時はこれが何になるのか、と否定的な気持ちが強かったためか、楽観的な感覚には成りにくい。
昨今フィールドレコーディングはひとつの音楽ジャンルのような様相を呈してきたようです。しかしこれは自分にとっては難しい。
文字通りにみれば、場所の録音なのにそのフィールドにこだわっている作品が少ないようです。
逆に場所にこだわったからといって録音が正当化される訳でもない。
そこに何かが無ければ作品にはならないと思います。


そんな訳で、今回は気負いなく録音について話す会を行いたいと考えています。詳しい内容は追々決まっていくでしょう。
気に入った録音物をかける、自分の録音哲学を話すなどなど。
最後はお客さんを含めて座談会のようになる時間も持ちたいと思います。
録音について興味のある方は是非遊びに来てください。
壊と関係のない音盤のお土産も用意しておきます。
よろしくお願いします。(角田俊也)


l-e 東京都品川区豊町1-3-11 スノーベル豊町 B1 http://www.l-e-osaki.org/ 
tel : 050-3309-7742(電話は、ライブのある日の午後5時以降にお願いします) e-mail: