「夢野一族」

ちょっと前に読んだ本だがやはりこれは書いておこう。

この本は夢野久作、一族、杉山一家について書いてある。
豪快な一族である。

夢野久作の父である杉山茂丸、こいつは凄い。
もともと杉山家は黒田藩の末裔、武士の血を引いている。

茂丸は戦争道楽、国事病と自ら称し、文字通り大物政治家の陰で暗躍する在野の浪人。
九州の右翼の元祖的な集団と呼ばれる玄洋社には属さなかったが動きを共にした。
政治や歴史に疎いのでさらっと気になったとこだけ書き留めると、

頭角を現してきた旧千円札の伊藤博文を憂い、絞め殺そうと面会して、自重せよと悟らされて交流が始まったが、日露戦争時にはロシアと戦う気のない伊藤を裏で見捨てる。
日清戦争を起こしたいのなら暗躍する、と政治家に詰め寄り、憤慨され断られると、謎めいた殺し文句を書置きをして決心させたり、
日本興業銀行の設立に当たりモルガン財閥の当主にいきなり単身で出向き、
あなたは何者か、という問いに、あなたより若くあなたと同じくらい道徳心がある人間だ、と言い張り、融資の抵当はと聞かれると、日本政府を証人にして日本を抵当にするとの言ってのけ、融資を取り付けたり(実際は金利の関係で政府は反対、実現せず)、暗躍に必要な莫大な資金を捻出する際に、勝手に知己の寺を抵当に入れてしまったり、弟を相談のないまま、抵当として養子に出したり、と、まぁ、とんでもない大法螺を大上段から吹き流す。

満州鉄道の設立にも一役買っているらしい。
いつ何時、何があっても命を捨てる覚悟のある人間のやることは凄まじい。

炭鉱を資金源に確保したり、朝鮮半島で浪人どもを仕込んでるというくだりなどは「犬神博士」そのものだし、暗躍のさまは「ドグラマグラ」の正木博士とかぶる。大金を大芝居をぶっこいて作っても一切私腹は肥やさない。夢野一家は豪勢な屋敷から、天井に穴の開いたあばら家に移り住むはめに陥っても一切、気に留めない。
人生そのものを達観した陽気なニヒリズム
こういうエネルギーポンプのような親父がいたところに夢野小説の根本があるようだ。
茂丸は社会学も勉強していて、唯物論的な思考は何の実りもないとするあたり、「ドグラマグラ」にあるとおりで、その根には武士の心意気があったというのも面白い。
そして現在、茂丸の憂い通りの国になってしまったのは当然だろう。
彼が生きていたら、前総理、現総理を両脇に抱え原子炉に飛び込んだだろう。

夢野自身も武士の末裔という意識があったのか、体は弱かったが毎朝真剣100回素振りして井戸水をかぶってから執筆をしていたという。

茂丸自身の天皇像はとても変わっていて、まるで原始共産主義のような発想である。
無私で国民を支える農耕の神のような天皇像だ。そこには勝利の統治者という発想は無い。

金は天下のまわりものと嘯いた茂丸の破格の人生には当然大量の借金があった。
彼の死後、久作は父親の始末をすることを使命だと認識していた。
会計に関しては何人かの専門家を雇いどうにか処理が終わったという報告を聞いて、
破顔し手を叩いて喜んだ、その瞬間に脳溢血で倒れ、他界したという。
どこまでも自分の小説のようだ。

久作の息子、龍丸もインド緑化で驚くべき行動を行った。
TV番組のYouTubeがあるのでご覧いただきたい。
http://www.youtube.com/watch?v=H_pBUhvLaEU
これが夢野久作の息子かと思うと驚いてしまう。
茂丸が久作の食いぶちとして託した広大な杉山農園はインドの人民を救い、茂丸の意志は繋がった。

この3代の時空を超える動きはどこか「ドグラマグラ」を感じさせる。
久作は一族のシナリオ作家だったと考えると面白い。
龍丸も茂丸の心理遺伝があるということだ。

もう一人の息子、鐵児は教員として生きた。
しかし平凡な彼にもドグラマグラが押し寄せた。
同和問題を扱っていると同僚が、これはあんたの親父じゃないか、とある活動紙を見せた。
そこには夢野久作の「骸骨の黒穂」が被差別部落民を題材にしていることへの解放同盟の抗議の文章だった。
差別者夢野某をぶっ潰せ!
しかし、よく読めばあの小説は、冷たい警察官僚と人間的な部落民の対比がオチになっており、
抗議は過剰に思えるだろう。時代や地域柄もあったのかもしれない。

一番父親に近い仕事をしながら最も遠くにいたのは3男の参緑だ。
彼は天涯孤独の詩人だった。
農園の片隅の一軒家に、座布団が尻の形に凹み、拾ってきた小石の山の中で
父のことを自分からは一切話さず、静かに詩を書いていた。
純真で切り裂けそうな詩作の人生だった。
夢野の息子と言ったら、もし今の文学界だったら大いに祭り上げられ、猟奇ものを書かされたかもしれない。



この「夢野一族」を読むと、九州という大陸が無意識的に大きくかかわっているようで、すべてがドグラマグラだ。
久作の数々の小説はシナリオとなって一族をそこに繋ぎとめる装置となっている。

近代化過程の日本、政治や国際情勢は居間よりはシンプルで、何でもやれたのかもしれないが、その時代の人にはそんな突飛な思考は持てなかっただろう。
江ノ島にはかつて茂丸が建てた児玉神社がある。
私の住まいからそう遠くは無い。
また、久作は横須賀駅付近に一度遊びに来たことがあるらしく、このことは個人的には何とも嬉しくなった。
懐かしい千円札が夢野久作と関係があったと思うと楽しくなる。
高校時代、私は久作小説に思いっきりハマった。
その当時の写真を見ながら時代の雰囲気を想像しようとして、大正〜昭和初期に猛烈な郷愁を感じていた時期があった。
あの時これらのことを知っていれば、無理して葦書房の「夢野久作の日記」を買っていただろう!

そして驚くべき事実がある。
な、何と、

とっくの昔に鬼籍に入った茂丸に会えるチャンスがあるのだ!

驚くなかれ、茂丸の骨は標本になって東大の本郷の標本室に保管されているという!
彼は墓には入らなかったのだ。標本は故人の遺志だという。
いやぁ、参った!