マンフレッドのCD

マンフレッド・ヴェルダーのCDを2つ紹介したい。
ひとつはSkitiが年末にリリースした“stück 1998 seiten 624-626”
 
これは彼の器楽曲である。6秒の発音と無音のアクションをひとつの単位として160,000回行うもので、全演奏時間は533時間と20分にも及ぶものである。ここではその内の3ページ分が演奏されている。CDにはその3枚のスコアがB6サイズに縮小され同封されている。発音はいくつかの指定されたピッチの単音で、複数名の演奏者のアクションは同時には起こらない。抑揚なくシンプルに発音する、という指示である。演奏者はJürg Frey (クラリネット) 、Stefan Thut (チェロ) 宇波拓(ラップトップ)の3人。スイスのSolothurnで行われた演奏のライブ録音である。

もう1枚はCathonar Recordingsからリリースされた”2009 5 realized by will montgomery”でこちらは3インチCDRである。

この作品ではフランスのFrancis Pongeという作家の文章がそのまま楽譜として使われている。これがそれである。
There is, in a house I know well, at Remoulins, an interior courtyard, and another, at Le Grau du Roi, each one {inhabited / , adorned} by one or two fig trees.
実演者のWill Montgomeryは2009 5のスコアをフィールド録音に解釈し、2つの場所の録音を収録している。1トラック目の録音は2009年の7月。2トラック目の録音はその1年後のものである。
両者ともロンドンを巡る幹線道路の近くで録音されており、自動車のスムーズな走行音に時折、鳥のさえずりが聴こえる。


これらの2つの楽曲はどちらも常識を外れている。
長大な実演時間となるstück 1998は、終了まで長いインターバルを孕みながら空間に実現されていく。
曲の全貌を把握することよりも、いやおうなくその曲が実現していく大きな時間を観想することになる。

もう一方の2009 5は実演者の解釈に大きく委ねられる。演奏の術は一切触れられていない。さまざまな解釈ができるだろう。ここではフランスではなくロンドンで行われている。1年の時間差は実演者の解釈から表れたものだ。とてつもなく自由であるかのようなこの作品は逆に実演に慎重にならざるを得ないだろう。


これらの2つのMWの作品は、楽曲として大きく可能性に開かれたものであるといえる。同時にスコアとして既に自立している作品でもある。スコアは楽曲の実現によって使命が果たされるものではない。
そこで見えてくものは、可能性と世界との関わりである。現実に微かに接している可能性と出来事。ほぼ仕上がった絵に一筆、加筆するような接し方。アクセントとして効くだろうか。台無しになってしまわないだろうか、調和するだろうか。埋没するだろうか。決して観念の遊びではない。これが、私が感じるMW作品の美しさなのだ。