杉本拓 Musical Composition Series

 ビートルズの赤盤・青盤の新規リマスタが発売されているが、キッドアイラックからはなんと杉本拓作曲シリーズの白盤・黒盤が発売された!
合計4枚の杉本作曲集。世知辛い世の中でのこのリリース、友情などという甘ったるい言葉を超えた作家と演奏会場の美しい関係を思うと、目頭が熱くなりそうである。この2アルバム、白盤のほうでは私自身が参加した会が丸々入っているではないか。これまた嬉しい! 彼の初LP「mienai tenshi」のオリジナルLPも近年の再発LPも2種とも所有する一ファンとして(その実、即興時代や初期Slub CDは持っていなかったりしますが)は、身に余る光栄であります、いや、本当に。
黒盤のほうの短い曲集の演奏会も実際にキッドで聴いていたものなので、これも楽しい。
さぁ、色々書いてみるぞ、と思ったものの、これがなかなか難しい。
特に私が参加したものは、恐らく初めて聴く者でなくとも、何をしているかすら分かりにくいだろう、という思いが生じる。演奏結果はほとんど物音である。
このときは楽器を使わない曲だった。
そこで率直に感じることを書いてみようと思う。最初は思いっきり個人的な体験からだ。余談だが、個人的な体験は主観的な体験として見直せば「個人的」なままに終わらないという考えになってきた。昔からそんなことを思ってきたが、最近特にそのことをよく考えるようになった。このことについてはいずれぼちぼちと書いてみよう。

思えば杉本、宇波の両作曲家・演奏家と活動を共にするようになってから、私自身キッドにはお世話になってきた。道路際にあった頃は演劇臭の強い荒っぽい場所、というイメージが強かったが、現在の位置に移転してからは壁の黒い塗料と高い天井がまるで土蔵のような印象の静かな空間に変貌した。
それは出演時のリハの時に、静かにそこにいたことからだろう。いや、杉本作曲シリーズの音楽のせいかもしれない。ほっと落ち着くのだ。
私はあの場所が好きだ。下に大量に本があることも一因のような気がする。
ユングが煙突のような小さい塔に入って瞑想したというが、その空間というのはもしかしたらこういう感じでないだろうか。壁一枚に明大前の喧騒があるが、あの中はしっとりと静かである。特にリハ時に一人きりになるととてもいいのだ。わさわさした世俗な思いがすべてすーーーーーっと消えていく。

このCDではあの場所の暗騒音が聴こえる。
もっとよく聴きたくなる。ボリュームを上げる。
するとCDから杉本の作曲演奏が始まる。
楽譜が空間に実現していく場が聴こえる。
これだ!これが一番いい。
紙に書かれた楽譜が、空間に表れる様子を静かに見つめていくような。
このことが、このCDから、観賞用の1枚のコンパクト・ディスクという対象を越えた経験として与えられる。
私がお奨めしたい聴き方はこれだ。
ヘッドフォンもいいかもしれない。
このCDの中で起きていくことを聴く。
奇をてらったような行為の記録ではない。
霊験あらたかなものでもない。
予定調和な癒しなどではない。
淡々と、過ぎていく時間と演奏がゆっくりと手に手を取り合って進んでいく様。
空間に音が広がっては収まり、また起こる。

飯田克明や佳村萠の声を使用した演奏。
これもまた杉本独特の美学をたたえた響きが堪能できる。
本人は嫌がるかもしれないが、ファンタジックですらある。

ギターを使用した演奏ではバーバラ・ローメンやギュンター・シュナイダーも参加している。
ストリングスを使用した長尺の曲も、単音ユニゾンの1回のピッキングだけで終わる曲も、杉本以外、誰がやるだろうか、というある意味で物議すらかもしだしそうな音楽。
こういうものを出してきたのか、やはり…
杉本自身のパーソナリティを知る者としては、思わずしてやったりとニヤリとしてしまう。

決して一言では語れなさそうな、一言で説明しきれてしまいかねないこれらの曲。
これは何だろうか。
杉本の、いつもの問いかけだ。
かつてのドレミ時代といいこの態度の、高楊枝な姿勢は本当に頭が下がる。
誰がこんなことをするだろうか。こんなものが出てしまうのだ。

作曲手法や音楽のカテゴリーや音の知覚などを超えた次元での実験的な音楽だ。
一体どう聴くべきだろうか。
この音楽に何を結びつけるか、ではなく、この音楽に結びついているものは何か。
それは日常で出会う些細な出来事から哲学的な思考に至る、アレと同じである。
個人的には、黒盤2枚目のストリングスが入った作品が気になってしかたがない。
微妙にズレたピッチの弦の持続は、ドローンというよりは耳触りの悪いテストトーンのようだ。
そこにギターの低い単音がポン、ポン ポン と配される。
これらの2つの関係に、心地よく聴くこととは全く別な、何か受け入れ難いものがあり、それが今後自分にとってどう見えてくるのかが興味深い。