「激論! ど〜する!?ど〜なる!?ど〜したい!?実験音楽」

朝まで生LOOP
「激論! ど〜する!?ど〜なる!?ど〜したい!? 実験音楽」@Loop-Line
この討論会のようなものの参加者、パネリストは以下の10名である。


司会:服部玲治(HOSE)
生西康典
今井和雄
宇波 拓
北里義之
杉本 拓
田口史人
角田俊也
野々村 禎彦
星 智和
吉田アミ
(あいうえお順)

この人選が分からないなどの意見があるそうだ。
なるほど当然かもしれない。それについて知っているだけのことを書いておこう。
私は今回この話を企画初期段階で聞かされ、それは面白そうだと思い、いろいろと提案をしてみた。
そんなこともあってか、ループラインHPやネットの情報にループラインと連名で企画者とされていて少々驚いた。

この発案はループラインの坂本さん親子である。私はどちらかといえば賛同者である。
その後、坂本さんが司会をHOSEの服部氏にお願いしたあたりで、彼自身が「朝まで生テレビ」の大ファンであるということで、所謂「大人のユーモア」というやつが追加されていったようだ。
内容はメンツからしてシリアスになるだろう。多少の笑いがあっても内容の変化はないだろう。
さて問題?の人選について書いておこう。
まず最初に大事なことはループラインという場所はライヴあるいは展示会場であるだけでなく飲食店である。
彼らはそこで来店した作家や評論家たちと出会った。そこでお世話になったと感じる方々の意見を聞いてみたいと思うのは当然のことだ。
ループライン一派とか、もし誰かがそう言ったとしても私は気にしない。
赤字覚悟であれだけの実験場所の提供は立派だ。最近の坂本親子はパンキッシュですらある!
そこに感謝の気持ちもあるし、手伝いたいという気持ちも自然と湧き上がる。
人情というやつだろうか。
こういう人選の発表があると、派閥がどうこうという人がいたりする。
そういう意見は一体何を批判しているのでしょうか。正直よく分からない。
もし文句があるのなら自分なりに何か行動したらいいというだけの話だ。
実際、ループラインには特定の作家を独占しようとか、一派を作ろうといった意図はまったく感じない。
これはお会いすれば分かること。
しかし同じような関心の人間が集まれば似たようなムードもできるだろう。
何かがそこにあるとしたら、ただそれだけだ。

誰々がいない、あの人を呼ばないのはなぜか、という意見も起こるだろう。
しかし、よく知られたあの人、この人の意見はもうすでにあちこちで読むことができるはず。
また誰を呼んでも何をしても必ず文句を言う人はいる。
キュレーターが人選したのなら別だが、これは草の根の活動である。
完全にニュートラルでフラットな空間があると思う気持ちが分からないではないが、はてさて実際はどうか。
しかしそういう人が実験的なシーンを活性化しようと思っているのであれば問題ないのだが…(批判は楽。肯定するには力が必要!)

私は企画初期の段階で人選を頼まれた。
坂本氏が自分たちの視点だけでは限界があるので、ということでよく知っている私にお願いしてきただけである。
そこで私が誘ったのは生西康典と吉田アミの両氏だ。
生西氏とは制作でご一緒させてもらったこともあり、それ以前からよく知っている。彼の独自な意見、特に映像に関する意見はなかなか面白い。視点がブレずにいつもしっかりと座っている印象を受ける。
また最近はスーパーデラックスやラフォーレなどで複合的な出し物を企画していることも重要だ。そして写真美術館での素晴らしいインスタレーションの純粋さには驚かされた。ここでも様々な方々をまとめている。総合的な視点を持っていなければバランスを崩すだろう。そこがポイントだ。つまりこの討論は音楽だけではなく実験的な試み全般も対象としているのである。

私は吉田アミ氏を古くから知っているが、最近のマンガなどを題材にしたトークなどを行い、若者の動向に関心を寄せている素敵な姉貴である。この一連のトーク勉強会と共に、所謂「音響」シーンに一定の距離を置いて活動していることも興味深い。
何か意見があるはずだ。私は彼女のその行動を横目に見て感心し密かに影響を受けた。ループラインでのこの企画の話を聞いたときに彼女の行動が真っ先に頭に上ったのだった。

毛色の違う人選に高円寺の円盤のオーナー田口氏がいる。坂本氏は田口氏のユニットのメンバーでもあり、交流があった。円盤のオーナーとしての意見を聞きたかったのだろう。
見慣れない名前がひとつ。星 智和氏。
彼はループラインでの、これでもかという実験現場の熱心な目撃者である。一観客として参加している。
私も親しくしてもらっているが、彼の意見は作家以上のものを感じさせる。

さて討論会のタイトルは一種の罠かもしれない。
誰もが「実験音楽」なんて言い出したら話が合わないと思うだろう。
このフレーズにパネラーのほとんどがひっかるのではないか?
そのとおりだ。「〜とは何か」的な討論は定義のズレのままぐしゃぐしゃに終わるのは想像に難くない。
そこでこの討論は、問題は現在の事のみにフォーカスするそうだ。
実験的なイベントは非常に面白いものがある。しかしそれに反応する者が少ないこと、誤解や食わず嫌いをぶっちゃけてみよう、ということである。
まずは各論客が一堂に会してみるのもいいんじゃないか。
パネラーによっては自らの知っている世界のみを語ることに終始するかもしれない。
聞くも涙の経済的な話になるかもしれない。
これらを「討論になっていない」「甘い」などと一喝してしまうと、結局何も伝わらず、何も知られないまま時間が過ぎてしまうのではないか。
私は美術、音楽など多種の芸術における実験的な試みで大きく自分が変わったという自覚がある。
それだけ面白いのだ。
多くの方とシェアすべきだと信じる。

またパネラーに若い人がいないという意見もあるようだが、こういう事実がある。
坂本氏に或る有望な若い作家が同じことを言ってきた。
そこで、じゃぁ参加しませんかと誘うと遠慮されたとのこと。
よく最近の若者は議論をしないと聞く。
ではどうやって自分の意見を熟成させていくのか、私には分からない。
誰しも若いころには思い出すと赤面するような議論をしたりするものではないのか?
もし少しでもこの意見に反応するのなら、家でユーストを見るんでなく、実際に会場に足を運んでみたらどうだろうか。
私自身、若いころ、何考えているんだろうと批判の対象だった作家の講演会に冷やかしに行くと、自分の意見とさほど変わらなかったり、予想以上のことを学んだ経験があった。
まずは行動あるのみ!